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ラスクルーセス()は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州南部に位置する都市。同州ドニャアナ郡の郡庁所在地である。人口は74,267人(2000年国勢調査)。2005年の推計では82,671人に増加している。同市はアルバカーキに次ぐ州第2の都市である。ラスクルーセス市はシティ・マネージャーを持ちながらも市長制を採っている。 ラスクルーセスは砂漠地帯にあるが、市の西を流れるリオグランデ川の水を利用した、ニューメキシコ州南部における灌漑農業の中心地である。また、ラスクルーセスはニューメキシコ州唯一のランドグラント大学であるニューメキシコ州立大学が本部キャンパスを置く大学町でもある。ニューメキシコ州立大学はラスクルーセスのほか州内の4ヶ所に分校を置いており、総学生数は23,000人に達する。市の東にはオルガン山地の山が連なっている。 ラスクルーセスは年中行事の1つであるホール・エンチラダ・フィエスタでも知られている。これは地元のレストランのシェフが直径10mに達する巨大なフラット・エンチラダ(トルティーヤを巻かずに円形のままにしておく作り方のエンチラダ)を作って振舞うものである。2004年のフィエスタのときに作られたエンチラダは、世界で最も大きいフラット・エンチラダとしてギネスブックに登録された。通常、ホール・エンチラダ・フィエスタの数日後には南ニューメキシコ・ステート・フェアが執り行われる。 ==歴史== スペイン語で「十字架」を意味する市名の由来については諸説あるが、最も有力なのは、1830年にメキシコ軍将軍、僧侶、4-5人の少年僧を含む9人組の旅行者がアパッチ族に襲われた事件に由来しているという説である。このとき、ただ1人生き残った少年僧はこの地に十字架を立てた墓を作り、仲間を埋葬した。この故事によって、次第にこの地は''El Pueblo del Jardín de Las Cruces''(十字架の園の村)として知られていくようになり、のちに単にラスクルーセスと呼ばれるようになったというものである。 ラスクルーセスの西に隣接するメシーラの村はドニャアナからの入植者によって1848年に創設された。アメリカ=メキシコ国境のすぐ北にあったドニャアナの村はグアダルーペ・イダルゴ条約が結ばれてからもメキシコ領への残留を希望していた。1853年、この一帯はアメリカ合衆国領に編入された。ラスクルーセスが正式な町となったのはそれから50年以上後の1907年のことであった。 1916年にホットスプリングス(現トゥルース・オア・コンシクエンシーズ)の近くに重力式のダムが完成すると、貯めた水や水力発電で生成される電力を利用して、下流にあるラスクルーセスでは灌漑農業や都市開発が進んだ。第二次世界大戦後には近隣のミサイル基地やアメリカ航空宇宙局の施設の存在が地元経済を潤すようになった。現在においてもラスクルーセスは高い成長を続けている。1990年から2000年までの10年間において、ラスクルーセスの人口は63,124人から74,267人へと17.7%増加した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラスクルーセス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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