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ラズエズノイ号事件[らずえずのいごうじけん]
ラズエズノイ号事件(ラズエズノイごうじけん)は、1953年に起こった日本への領海侵犯事件。 == 概要 == 1953年頃に海上保安庁は、樺太から北海道に密入国を繰り返すソ連諜報工作員をスパイ船が迎えに来るとの情報を入手し、巡視船を猿払村知来別海岸に配備して警戒に当たった。 同年8月2日、樺太在住で前日に稚内に到着した日本人スパイの男を密入国の疑いで逮捕〔読売新聞「密航男と船員を対決 捕獲ラ号、スパイ船の疑い強まる」1953年8月11日夕刊3頁〕。そして8月8日、巡視船が知来別海岸に接近したソ連漁業巡回船ラズエズノイ号を発見。巡視船が停船命令を行うが、ラズエズノイ号は巡視船に火器を発射しながら逃走したため巡視船もラズエズノイ号に対して射撃し、弾丸がラズエズノイ号の操舵鎖に命中し切断したことからラズエズノイ号は逃走を断念した。海上保安庁は船長ほか乗組員4人全員を出入国管理令違反で逮捕した。船内からはソ連式の乱数表と現金20万円が発見された〔読売新聞「ラ号のソ連人首実検近く起訴 背後のスパイ団?追及 暗号の乱数表発見」1953年8月12日付朝刊7頁〕。その後スパイと船長は起訴された一方、船員3名は起訴猶予となり〔読売新聞「ソ連船事件・最高検の方針決る きょう船長を起訴 他の3名は起訴猶予に」1953年8月30日付朝刊7頁〕強制送還された〔読売新聞「3船員は石炭船で強制送還 ソ連船事件」1953年9月27日付朝刊7頁〕。1954年2月19日、旭川地裁は出入国管理令違反によりスパイと船長の両名に対し懲役1年・執行猶予2年の有罪判決をそれぞれに言い渡した〔読売新聞「懲役1年(執行猶予)船は返す クリコフ船長に判決▽控訴しなければ身柄送還」1954年2月19日付夕刊3頁〕。両名とも控訴せず判決は確定し、船長は2月28日に尾道からソ連船「セグザプレス」に乗船してソ連へ強制送還された〔読売新聞「クリコフ船長尾道から帰国」1954年3月1日付朝刊7頁〕。この事件に関し、ソ連は日本に陳謝した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラズエズノイ号事件」の詳細全文を読む
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