|
ラッセル・アークスレーベン(Russell Erxleben 1957年1月13日- )はテキサス州シギーン出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはパンター、プレースキッカー。1979年のNFLドラフト1巡で指名されたが、ドラフトでの失敗例としてしばしば名前があがる〔。 == 経歴 == サンアントニオの東、約35マイルにあるセギーンで育った。1975年にテキサス大学に入学した。 1977年、ライス大学戦でカレッジフットボール記録タイの67ヤードのFGを成功させた。この年彼は他に60ヤード以上のFGを2回成功させた。NCAAは、翌年からFGでのキッキングティーの使用を禁止するルール変更を行った〔 〕。ルール変更後のキックの最長記録は、1998年にカンザス州立大学のマーティン・グラマティカの65ヤードとなっている。 1976年から1978年まで3年連続でオールアメリカンに選ばれた〔。 1971年のNFLドラフト1巡全体11位でニューオーリンズ・セインツに指名された。キックスペシャリストがNFLドラフト1巡で指名されたのは、彼を含めて5人だけである〔。 1979年9月2日のアトランタ・ファルコンズ戦でオーバータイムにスナップミスで頭上を越えたボールをエンドゾーン内で拾いパスを投げたが、これをジェームズ・メイベリーに自陣6ヤード地点でインターセプトされ、そのままリターンTDを許し、チームは敗れた。この年、セインツは8勝8敗でシーズンを終えたが、NFC西地区を制し第14回スーパーボウルに出場したロサンゼルス・ラムズは9勝7敗に止まっていたことから、悔やまれるミスとなった。 1980年のサンフランシスコ・フォーティナイナーズとの開幕戦で同点FGを失敗、チームは過去2シーズンで4勝しかあげていないナイナーズに23-26で敗れた。セインツは開幕から14連敗し、1勝15敗でシーズンを終えた。 セインツ1983年まで5シーズンプレーし、1987年に1試合だけデトロイト・ライオンズでプレーした。 1999年に投資家から3600万ドルを騙し取った詐欺罪で、7年の禁固刑判決を受け、2005年に釈放された〔。しかし、2005年9月から2009年10月にかけて投資家から200万ドルを騙し取った罪で、2013年12月有罪判決を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラッセル・アークスレーベン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|