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ラッセル・ワトソン : ウィキペディア日本語版
ラッセル・ワトソン

ラッセル・ワトソン (Russell Watson1966年11月24日 - ) は、イギリスマンチェスター出身のテノールポップス歌手。尚、生年を「1972年」もしくは「1974年」などとするメディアもある〔公式サイト には生年に関する記述はないが、TIME誌インタビュー で「''I was with a brain tumour on the eve of my 40th birthday.''(40歳の誕生日の少し前に脳腫瘍が見つかった)」と答えており、実際に彼に脳腫瘍が見つかったのは2006年9月であるため、1966年説が最も有力と考えられる。しかし、「1972年」(ユニバーサルミュージック 浦和レッズ 朝日新聞 )、「1973年」(iTunes )、「1974年」(MP3.com Winamp Amazon.com Aol Music )など、大手サイトでも記述は分かれており、真相は不明である。〕。
== プロフィール ==
幼少の頃から両親の流す音楽に親しんではいたが、当初は真剣にプロの歌手を目指すつもりはなかったもよう。したがって、他のクラシック歌手にありがちな「幼少の頃からの音楽の英才教育」は一切経験していない。
16歳の頃旋盤工となり、仕事のオフタイムの折にパブでロックやポップスを歌うのみであったが、観客に「ルチャーノ・パヴァロッティの“トゥーランドット”にある『誰も寝てはならぬ』を歌ってみてはどうか」と勧められ、CDを入手してヴォイス・トレーニングに取り組むことになった。これがラッセルのテノール歌手としての原点である。
このトレーニングによる口コミが評判を呼び、彼の立つステージは年を追うごとに広く大きなものとなっていった。
1999年ラグビーリーグカップ決勝の舞台、ウェンブリー・スタジアム国歌独唱の栄誉に。
そして1999年5月16日マンチェスターオールド・トラッフォードにて行われたマンチェスター・ユナイテッドトッテナム・ホットスパーのサッカーのイングランド プレミアリーグ最終戦にて、子供のときからファンであったマンチェスター・ユナイテッドの優勝セレモニーで「誰も寝てはならぬ」を歌う。観客だけでなく、めったなことでは褒め言葉をもらさないプレス席のジャーナリストたちからもスタンディングオベーションまでも勝ち取った。これは全英に中継され、彼の知名度を決定的に広めるものとなった(なお、実は前年の1998年ミュンヘンの悲劇追悼試合で歌うはずだったが、ゲストの元マンチェスター・ユナイテッドのスター選手エリック・カントナが試合直前に“クラシック・シンガー”として難色を示して土壇場で別の歌手に変更になった)。
2000年9月、ファーストアルバム "The Voice" をリリースした。ここではサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」、フレディ・マーキュリー&モンセラート・カバリェ(フレディの命日はラッセルの誕生日)の「バルセロナ」をカヴァーしている。
2001年には、アメリカSFテレビドラマスタートレック:エンタープライズ』のオープニング曲「ホェア・マイ・ハート・ウィル・テイク・ミー」(映画『パッチ・アダムス』のエンディングで流れるロッド・スチュワートの「フェイス・オブ・ザ・ハート」をアレンジした曲)を歌った。
2004年4月には初来日公演が実現した。同年ボーナスDVD付きのアルバム "The golden voice" をリリース。
オペラのアリアカンツォーネに混じって、ここではクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」をカバー。
2005年にアルバム「アモーレ・ムジカ」をリリース。テレビ朝日の「題名のない音楽会」、テレビ東京の「たけしの誰でもピカソ」に出演。5月に再来日公演を行なった。2006年、ベスト・アルバム「ベスト・オブ・ラッセル・ワトソン」をリリース、5月に東京兵庫で通算4度目の来日公演を行った。
2006年9月、ニューアルバムを録音中に脳腫瘍が発見され、すぐに手術が行われた。その後、アルバム「ザッツ・ライフ」は2007年3月にリリース。2007年8月〜9月にカムバックを記念した日本公演が東京と大阪で行われた。
JALが毎年行っている音楽イベント『音舞台』の2007年版『第20回 JAL金閣寺音舞台』へも出演した。
所属レーベルは、2000年から2009年まではデッカ・レコード、2009年からはソニー・ミュージックエンタテインメント。日本では、デッカ・レコードのアルバムはユニバーサルミュージックから、ソニー移籍後のアルバムはソニー・ミュージックエンタテインメントから出ている。
2012年4月公開の日本映画『テルマエ・ロマエ』の主題歌のために、「誰も寝てはならぬ」を新録している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラッセル・ワトソン」の詳細全文を読む



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