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ラッセン火山国立公園(ラッセンかざんこくりつこうえん、''Lassen Volcanic National Park'')は、カリフォルニア州北中央部にあるアメリカ合衆国の国立公園である。公園にそびえたつ地物は、ラッセン山 (Lassen Peak) である。ラッセン山は、世界最大の溶岩ドームであり、カスケード山脈で最も南にある火山である。ラッセン火山国立公園は、1907年、セオドア・ルーズベルト大統領により2つの別々の国定公園として指定されて発足した。すなわち、シンダー・コーン国定公園 (Cinder Cone National Monument) とラッセン山国定公園 (Lassen Peak National Monument) である。 ラッセン地域における火山活動の熱源は、北カリフォルニア海岸沖の北アメリカプレートの下に潜り込むゴルダ・プレート (Gorda Plate) の沈み込みである。ラッセン山周辺地域は、依然火山活動が活発で、沸騰する泥水泉、臭い噴気孔、激しく泡立つ温泉が見られる。ラッセン火山国立公園は、4種の火山すべて(溶岩ドーム、楯状火山、噴石丘、成層火山)がある、世界でも数少ない地域の一つである。 公園へはカリフォルニア州道89号線とカリフォルニア州道44号線経由で行くことができる。89号線は公園の中まで続いている。89号線は公園を南北に貫いて走っている。南はカリフォルニア州道36号線に始まり、北は44号線で終わる。89号線は、ラッセン山の麓のすぐ近くを通っている。 合計で5つ、公園への自動車の入口がある。すなわち、南北の89号線での入口、未舗装道路での南にあるドレイクスバッド (Drakesbad) とジュニパー、北東にあるビュート湖の入口である。公園へは公園に続くパシフィック・クレスト自然歩道 (Pacific Crest Trail) だけでなく、東のカリブー・ウィルダネス (Caribou Wilderness) からの歩道、南のウィロー湖 (Willow Lake) とリトル・ウィロー湖 (Little Willow Lake) からの2本の短い歩道を歩いても行くことができる。 以前は場内施設を有する大きな山荘(ラッセン・シャレー (Lassen Chalet))が南西入口付近にあったが、2005年に取り壊された。新しいフル・サービスのビジター・センターが同じ場所に建設中で、2008年に完成予定である。ラッセンスキー場も古い山荘のあった場所の近くにあったが、1992年営業を停止した。すべての関連施設は撤去されている。 公園の面積は、429 km²(106,000 エーカー)、2006年の公園への訪問者数は388,741人である。 == 歴史 == 白人入植者が初めてラッセン山を見るはるか以前からインディアンがこの地に住んでいた。インディアンは、ラッセン山が火と水に満ちていることを知っており、いつかばらばらに吹き飛ぶと思っていた〔''Geology of National Parks'', p.466.〕 。 19世紀半ばの白人移住者は、ラッセン山を肥沃なサクラメントヴァレー (Sacramento Valley) への旅行の目印として利用した。これらの移住者のガイドの一人が、デンマーク人のピーター・ラッセン (Peter Lassen) という名の鍛冶屋で、1830年代にカリフォルニア州北部に住みついた。ラッセン山は、彼に因んで名付けられた〔。後に、公園を横切り、噴石丘と大溶岩層 (Cinder Cone and the Fantastic Lava Beds) を通るノーブルズ・エミグラント歩道 (Nobles Emigrant Trail) が設けられた。 1850年から1851年の矛盾する新聞の目撃者談によると、噴石丘と大溶岩層地域において「恐ろしい高さにまで火が噴きあがり」「燃える溶岩が山腹を流れ落ちる」と表現された。最新では1859年に、ある目撃者が空に炎が上がるのを遠くから見たと通報し、それを噴火によるものとした。早期にはその噴石丘を研究していた地質学者と火山学者は、最後の噴火は1675年から1700年の間に起きたと結論付けていた。1980年のセント・ヘレンズ山の噴火の後、米国地質調査所 (USGS) は、カスケード山脈の他の活火山帯の潜在的なリスクの再評価を始めた。噴石丘の更なる研究によれば、最後の噴火は1630年から1670年の間に起きたと見積もられている。 ラッセン地域は当初ラッセン山保安林 (Lassen Peak Forest Preserve) として保護された。その後、ラッセン山と噴石丘は、1907年5月、セオドア・ルーズベルト大統領によって国定公園 に指定された〔''Geology of U.S. Parklands'', p. 154.〕。 一連の大小様々な噴火がラッセンで1914年5月に始まり1921年まで続いた。これらにより新たな噴火口ができ、溶岩と大量の火山灰が噴出した。幸い、警報のおかげで死者は出なかったが、川沿いの家屋がいくつか破壊された。1917年を通して続いた噴火活動と非の打ち所のない火山の美しさのため、ラッセン山、噴石丘とその周辺地域は1916年8月9日国立公園に指定された〔。 47 km (29 マイル)のメイン・パーク・ロード (Main Park Road) が、1925年からラッセン山噴火のちょうど10 年後の1931年にかけて建設された。ラッセン山の近くでは、道路は2,594 m(8,512 フィート)の高さにあり、カスケード山脈では最も高いところを通る道路となっている。ヘレン湖 (Lake Helen) の近くの道路に12 m(40 フィート)の雪が積もるのは珍しいことではない。 1974年、国立公園局は、米国地質調査所の勧告を受け入れ、マンザニータ湖 (Manzanita Lake) のビジター・センターと宿泊施設を閉鎖した。調査所は、これらの建物は地震や噴火が起きた場合にはケイオス岩山からの岩盤すべりによる被害を受ける恐れがあると述べた〔 。老朽化した地震観測点はまだ残っている。 1980年のセント・ヘレンズ山の噴火の後、米国地質調査所は、カスケード山脈の活火山、潜在的な活火山の監視を強化した。ラッセン地域の監視には、地殻変動と火山性ガスの放出の定期的な測定及び地域の9の地震計のネットワークからメンローパーク (Menlo Park) にある米国地質調査所の事務所への継続的なデータの送信が含まれる〔USGS: Volcano Hazards of the Lassen Volcanic National Park Area, California〕。万一、火山活動の顕著な活発化の兆候が検知された場合には、米国地質調査所は危険を評価するため、直ちに科学者達と特別製の携帯監視装置を配置する。さらに、国立公園局は、噴火が差し迫った場合に国民を保護するために実行される緊急時の対応計画を策定している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラッセン火山国立公園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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