翻訳と辞書
Words near each other
・ ラットコ・ステボビッチ
・ ラットドア
・ ラットパーク
・ ラットプルダウン
・ ラットマン
・ ラットランド
・ ラットランド (バーモント州)
・ ラットランド・ボウトン
・ ラットランド・ボートン
・ ラットランド伯
ラットランド伯エドムンド
・ ラットランド伯爵
・ ラットランド公
・ ラットランド公爵
・ ラットランド州
・ ラットル
・ ラットレース
・ ラットレース (映画)
・ ラット・テリア
・ ラット・レース


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ラットランド伯エドムンド : ウィキペディア日本語版
エドムンド・プランタジネット (ラトランド伯)

ラットランド(ラトランド)伯エドムンドエドマンド・プランタジネット(''Edmund Plantagenet, Earl of Rutland'', 1443年5月17日 - 1460年12月31日)は、イングランドの王族であり、ヨーク公リチャードセシリー・ネヴィルの(早世しなかった中では)2番目の息子である。
エドムンドはルーアンで生まれた。後の国王エドワード4世の弟であり、ブルゴーニュ侯爵夫人マーガレットクラレンス公ジョージ、国王リチャード3世の兄であった。
エドムンドはラットランド伯を名乗った。薔薇戦争中のウェイクフィールドの戦い(1460年12月30日)に敗れ、敵であるランカスター派クリフォード卿の命令(一説にはクリフォード卿自身の手にかかって)によって17歳の若さで処刑された。エドムンドの首は、父リチャード、母方の伯父ソールズベリー伯と共に、ヨークの街の城門にさらされた。
シェイクスピアの戯曲「ヘンリー六世 第3部」の中では、ラットランド伯は史実とは異なり、一番下の弟と言う事になっており、「命乞いの後にクリフォード卿に惨殺される少年」という脚色された形で描かれている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドムンド・プランタジネット (ラトランド伯)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.