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ラッバーン・バール・サウマ : ウィキペディア日本語版
ラッバーン・バール・サウマ

ラッバーン・バール・サウマシリア語: Rabban Bar Sauma、1220年代〔那谷『十三世紀の西方見聞録』、59頁〕〔吉田寅「ソウマ(バルソウマ)」『キリスト教人名辞典』、825頁 では1225年生。〕 - 1294年1月10日)は、13世紀ウイグル〔那谷『十三世紀の西方見聞録』、60頁〕(もしくはオングト〔佐口『モンゴル帝国と西洋』、183頁〕)出身のネストリウス派キリスト教(景教)の僧侶。モンゴル人の国家であるイルハン朝の外交使節として、ヨーロッパに派遣された。漢文史料では拉賓掃務瑪と表記される。
弟子の一人であるラッバーン・マルコス(後のネストリウス派の総主教)とともに、元朝からエルサレムへの巡礼の旅にしたことで知られる。エルサレムへの巡礼は叶わなかったが、イルハン朝の外交使節としてヨーロッパへ派遣された。彼は多くのヨーロッパの君主に加えてローマ教皇とも面会し、モンゴルとヨーロッパのキリスト教国との同盟を提案したが、成果を上げることはできなかった。
== 生涯 ==

=== 出自 ===
バール・サウマは、元朝の首都である大都で生まれた。シリア正教会のの年代記にはサウマはウイグル人と書かれ、中国の史料にはモンゴル系遊牧民のオングトの出身と記録されている〔Moule, A. C., ''Christians in China before 1500'', 94 & 103; also Pelliot, Paul in ''T'oung-pao'' 15(1914), 630-636頁〕。
ウイグル族の名門の出身である父のシバン(昔班)は大都の崇福司(キリスト教徒を管轄する役所)で監察官を務め、母のケヤムタは景教を信仰していた〔。シバンとケヤムタには長い間子供が生まれず、断食祈祷の後に生まれた子供に、彼らは「斎戒の子」を意味する「バール・サウマ」という名を付けた〔〔杉山『モンゴル帝国と長いその後』、242頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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