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ラディスラオ・マズルキヴィッチ : ウィキペディア日本語版
ラディスラオ・マズルキヴィッチ

ラディスラオ・マズルケビッチ(Ladislao Mazurkiewicz, 1945年2月14日 - 2013年1月2日)は、ウルグアイ出身の元サッカー選手。元ウルグアイ代表。ポジションはゴールキーパー。ウルグアイサッカー史上屈指のゴールキーパーである。ポーランドにルーツを持つ。
== 経歴 ==
マズルケビッチはワールドカップに3大会連続で出場し、すべての大会で正ゴールキーパーを務めた。1966年のワールドカップ・イングランド大会では1次リーグを1失点で切り抜けて、イングランドに次いで二位で決勝トーナメントに進出した。準々決勝では、準優勝した西ドイツに敗れて敗退した。
1970年のワールドカップ・メキシコ大会では準々決勝までの4試合で1失点と活躍し、準決勝でブラジル、三位決定戦で西ドイツにそれぞれ敗れ四位となるが、ベストイレブンに輝いた。1974年のワールドカップ・西ドイツ大会では1次リーグで敗退した。
現役引退後は、母国の名門CAペニャロールを率いた経験がある。
2013年1月2日、腎臓と呼吸器系の病気のために死去〔Former Uruguay keeper Mazurkiewicz dies at 67 TEN SPORT 2013年1月3日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラディスラオ・マズルキヴィッチ」の詳細全文を読む



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