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ラトクリフ街道殺人事件 : ウィキペディア日本語版 | ラトクリフ街道殺人事件[らとくりふかいどうさつじんじけん]
ラトクリフ街道殺人事件(ラトクリフかいどうさつじんじけん)は、1811年12月にイギリス・ロンドンの幹線道路であるラトクリフ街道で起きた連続殺人事件。2家族計7人が惨殺され、当時のロンドン市民を恐怖に陥れ、19世紀のイギリスでは切り裂きジャックと並んで残虐と非道を象徴する事件とされた。事件発生の同月に犯人が断定され、間もなくその者が自殺したことで事件は一応終息したが、後には当時の警察捜査の杜撰さが指摘されたことで、この犯人断定には疑問がもたれており、より近代的な警察組織の必要が論じられる契機にもなった。 == 事件の概要 == 1811年12月7日夜。ラトクリフ街道の洋品店で、店主夫婦、その息子である生後3か月の赤ん坊、そして店員の少年の計4人が惨殺された。店主の妻は頭部を叩き潰され、店員の少年も頭部を滅多打ちにされた上に飛び散った脳が散乱しており、赤ん坊は顔面が叩き潰された上に、首が胴から切断しそうなほど切り裂かれているという残虐さであった。この家の女中が買物に出かけている間の約20分間での犯行であった。現場には凶器とみられる大きな鑿、槌などの工具類が残されており、店の裏には2組の足跡が残されていた。また、その日の夕方に2,3人の男が店外をうろついていたとの証言もあった。 同月の12月19日夜、その洋品店の近所の酒場で、店主夫婦と使用人の少女の計3人が同様の手口で惨殺された。残虐さは前回同様であり、少女は頭蓋骨を激しく叩き砕かれた上、首が胴からほとんど切り離されていた。今回は、同居していた店主夫婦の14歳の孫娘はかろうじて被害を逃れた〔。目撃者の証言によれば、犯人は身長180センチメートルほどで、足の不自由そうな男とのことであった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラトクリフ街道殺人事件」の詳細全文を読む
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