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ラトビア大学 : ウィキペディア日本語版
ラトビア大学[らとびあだいがく]

ラトビア大学(ラトビアだいがく。 (LU)、)はラトビア共和国首都リガにある、ラトビア最古かつ最大の大学である。
13の学部に約23,300名の学生が学んでいる。
== 歴史 ==
ラトビア大学の起源は、1862年に設立されたリガ理工科学校までさかのぼる。
1869年に同学校は建築専門学校となった。
リガ理工科学校はラトビアにおけるアール・ヌーヴォーの発展に、際立って重要な役割を果たした。
現在でもリガ市内の建造物の約40%はこのスタイルによるものである。
当時、ロシア帝国による専制政治はその影響下にあったラトビアにも広がり、1896年、同校の名称がロシア化された。
同校は国籍等による入学制限を設けていなかったので、学生はラトビア人ロシア人エストニア人ポーランド人ドイツ人のほか、多くのユダヤ人も在籍し、多岐にわたっていた。
ラトビア外からの学生たちは、出自を同じくする者で学生組合を組織するなどして、自治の意識も高かった。
1915年までには、およそ11,000の同校に学ぶロシア帝国内の様々な異なった民族グループの代表が出揃ったといわれている。
リガ理工科学校が開校した当初、講義はドイツ語で行われていたが、後年、ロシア帝国の政策としてロシア語が講義用言語となった。
第一次世界大戦後の1919年、ラトビアが独立を勝ち取ったことに呼応し、同年9月28日、同校はラトビア高等学校に改組され、講義もラトビア語で行われるようになった。
ラトビア大学は、同日を自学の公式な発足日と定めている〔History, University of Latvia 〕。
1923年、ラトビア国会は大学に関する学則修正案を可決し、同高等学校はラトビア大学と改称した。
第二次世界大戦中にラトビアはソビエト連邦に併合され、ラトビア大学も1940年初めに自治権を奪われると共に学則を無効化された。
さらに同大学はラトビア州大学と改称された。
また1958年からは、ソビエト・ラトビア政府初代首相ペトリス・スツカ (Pēteris Stučka) に因んでペトリス・スツカ大学と改名された。
1990年にラトビアが国家の独立を回復した後、同大学の名称は再びラトビア大学に戻された。
1991年5月15日、ラトビア大学の新学則が起草確認され、同年9月18日にはサエイマ(ラトビア国会)により承認された。
同大学には2008年現在、23,278名の学生が在籍している。〔Studentu skaita sadalījums pa fakultātēm 2008

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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