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ラドミール・コバセビッチ : ウィキペディア日本語版
ラドミール・コバセビッチ

ラドミール・コバセビッチ(Radomir Kovačević 1954年3月20日- 2006年6月14日)は旧ユーゴスラビア柔道選手。ボスニア・ヘルツェゴビナ第十県出身。階級は95kg超級。身長193cm。100kg〔Biography and Olympic Results 〕。
==人物==
1971年にそれまで取り組んでいたレスリングから柔道に転向した。1976年にはモントリオールオリンピックに出場して、重量級で7位となった〔。その後、東海大学に柔道留学すると、山下泰裕らとともに優勝大会で東海大学の優勝に貢献した〔山下泰裕公式ホームページ 〕。1979年には世界選手権の無差別で3位に入った。1980年のモスクワオリンピックでは95kg超級で銅メダルを獲得した〔。1984年のロサンゼルスオリンピックでは5位に終わった〔。
引退後は20年間ニューヨークで高校教師を務めた。2003年に山下泰裕がIJF教育コーチング理事に就任した際に 山下の4週間の語学研修について自宅にホームスティをさせて英語のレッスンをしたりテレビ局NBCの副社長を紹介したりして山下の滞在をコーディネイトした〔。
2006年に18か月の闘病の後にベオグラード死去した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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