翻訳と辞書 |
ラピス・ニゲル
ラピス・ニゲル(Lapis Niger)は、床面を黒い大理石で覆われ周囲をコンクリートで囲まれた遺跡で、古代ローマの記念碑または神殿である。ユリウス・カエサルがフォルムとコミティウムの再編工事の際に作ったか、トゥッルス・ホスティリウスがクリア・オスティリア建設の際に作ったと考えられている。この神殿の一部は、さらに古い祭壇や人工物のあった古代の聖域の上に築かれた。名称は「黒い石」を意味し、古い祭壇と共に見つかった最古のラテン語が書かれた黒い石碑を指している可能性がある。ローマのクリア・ユリアの前のコミティウムにあり、ローマ帝国期の建設ラッシュ時もその後の帝国の終焉期の混乱でも破壊されることなく、数世紀に亘ってそのまま残った。 共和政ローマからローマ帝国初期にかけて、フォルム・ロマヌムに関する文献の多くで言及されている。時代によってその意義は変化したが、常にローマ人にとって大きな意味を持つ場所として言及されていた。19世紀末、イタリアの考古学者 Giacomo Boni がラピス・ニゲルを再発見した。現存する最古のラテン語の碑文が見つかった場所である。 == 歴史 == 出土した石碑の碑文に ''rex'' とあることから、王政ローマの「王」を意味するか、共和政ローマ初期の宗教での高位の神官 ''rex sacrorum'' を意味すると思われる。ローマ人は歴史のいずれかの時点で、この神殿の意義を失った。そのため、神殿の由来に関する複数の相矛盾する伝説が語られるようになった。ローマ建国の王ロームルスの墓があるという伝説、またはロームルスが自身の招いた元老院議員に殺された場所だという伝説、トゥッルス・ホスティリウスの父ホストゥス・ホスティリウスの墓があるという伝説、ファウストゥルスがロームルスとレムスの争いを止めようとして殺された場所だという伝説などがある。 最古の文献では、この場所を ''suggestum'' としており、王政ローマ期の王がフォルムに集まった民衆や元老院議員に対して演説をした場所としている。神殿に2つの祭壇があるのは、エトルリア後期からローマ初期では一般的である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラピス・ニゲル」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|