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ラモン・ノヴァロ : ウィキペディア日本語版
ラモン・ノヴァロ

ラモン・ノヴァロ(-ナヴァロ、, 1899年2月6日 - 1968年10月30日)は、メキシコ出身のアメリカ合衆国俳優である。サイレント映画の時代に「ラテンの恋人」(''Latin Lover'')として知られた剣戟俳優である。「狂騒の20年代」を代表する人物である。
== 人物・来歴 ==

=== 初期の経歴と生活 ===
1899年(明治32年)2月6日、メキシコのドゥランゴ州ドゥランゴで「ホセ・ラモン・ギル・サマニエゴス」として、歯科医を父に生まれる。1913年(大正2年)に勃発したメキシコ革命を逃れて、アメリカ合衆国、カリフォルニア州ロサンゼルスに一家で移住した〔 〕。ドロレス・デル・リオアンドレア・パルマの又従兄である〔 〕。
1917年(大正6年)に映画界に入ったが、当時はまだ端役であり、歌手兼ウェイターとして働いて生計を補っていた。ラモンの友人で俳優・映画監督のレックス・イングラムとその妻で女優のアリス・テリーが、ルドルフ・ヴァレンティノのライヴァルとしてラモンを売り出し、イングラムは「ノヴァロ」と改名するようラモンに示唆した。1923年(大正12年)からさらによい役をもらい始め、同年のイングラムの監督作『スカラムーシュ』での演技は、ラモンの最初の成功となった。
1925年(大正14年)、ラモンが最高の成功を勝ち取ったフレッド・ニブロ監督の『ベン・ハー』では、衣裳を脱ぐことでセンセーションを起こし、ラモンはハリウッド・エリートへの道を駆け上った。1926年(大正15年)のヴァレンティノの死去により、映画界におけるラテン系俳優のトップレヴェルに位置するようになったが、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)での同僚、模範的恋人ことジョン・ギルバートよりも下位にランクされた。ラモンは剣戟俳優として知られ、当時の大時代的俳優の一人と考えられていた。1927年(昭和2年)、エルンスト・ルビッチ監督の『思ひ出』ではノーマ・シアラーと共演し、1923年(昭和3年)、ウィリアム・ナイ監督の『シンガポール』ではジョーン・クロフォードと共演している。
1929年(昭和4年)、シドニー・A・フランクリン監督の『黎明の剣士』が最初のトーキー出演作となった。歌うフランス軍兵士の役であった。1932年(昭和7年)、ジョージ・フィッツモーリス監督の『マタ・ハリ』でグレタ・ガルボと共演し、マーナ・ロイと共演した翌1933年(昭和8年)のサム・ウッド監督の『カイロの一夜』とは対照的な成功を得た。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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