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ラリサ・ラズチナ(Larisa Evgenevna Lazutina、、1965年6月1日 - 、旧姓Ptitsyna)は、ソビエト連邦カレリア自治ソビエト社会主義共和国(現在のカレリア共和国)コンドポガ出身の元クロスカントリースキー選手。 == プロフィール == 1984年3月24日にクロスカントリースキー・ワールドカップデビュー、10km15位となった。1987年ノルディックスキー世界選手権に抜擢され20kmで銅メダル、リレーで金メダルを獲得した。 1989年ノルディックスキー世界選手権では30kmで銀メダルを獲得、翌1989-1990シーズンのワールドカップでは総合優勝した。1991年世界選手権は出場を逃したが、1992年アルベールビルオリンピックではリレーで金メダルを獲得した。 1993年ノルディックスキー世界選手権では5kmとリレーで金メダルを獲得、パシュートで銀メダルを獲得した。 1994年リレハンメルオリンピックのリレーで2大会連続の金メダルを獲得、1995年ノルディックスキー世界選手権では5km、15 km、パシュート、リレーの4種目で金メダルを獲得、日程最後の種目30kmは5位に終わり全種目制覇とはならなかった。 1997年ノルディックスキー世界選手権ではリレーで金メダルを獲得、この大会で同僚エレーナ・ヴェルベが、前回大会でラズティナが達成できなかった5冠に輝いている。 1998年の長野オリンピックでも金3個(5 km、パシュート、リレー)、銀1個(15 km)、銅1個(30 km)とメダルを量産、1997-1998シーズンのワールドカップで2度目の総合優勝を果たした。この年のホルメンコーレン・メダルを受章(同時受章フレッド・ボーレ・ルンベルク、アレクセイ・プロクロロフ、ハッリ・キルヴェスニエミ)。 1999年ノルディックスキー世界選手権でリレーと30kmで金メダル、2001年ノルディックスキー世界選手権ではリレー金、パシュート銀、10km銅と3個のメダルを獲得した。 数々のタイトルを獲得してきたラズティナであったが2002年のソルトレイクシティオリンピック後ドーピング検査陽性となり、2年間の出場停止処分を受けるとともにソルトレイクシティオリンピックで獲得したメダル3個も剥奪された〔Süddeutsche Zeitung: ''Epo - Das Märchen vom reinen Sport'' 〕。そのまま現役を引退、ロシア大統領府のスポーツ顧問を務めた。 夫のゲンナディ・ラズチンも元クロスカントリースキー選手でリレハンメルオリンピックに出場している。 クロスカントリースキー・ワールドカップ通算22勝(2位20回、3位23回)、総合優勝2回。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラリサ・ラズチナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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