|
ローレンス・ジョセフ・エリソン(Lawrence Joseph Ellison、1944年8月17日 - )は、データベースソフトをはじめとする大手ビジネスソフトウェア企業オラクル・コーポレーションの共同設立者、作家、教育者であり、元CEO、会長、CTOである。4度の離婚歴を含む私生活や、幾多の訴訟や買収、ビル・ゲイツとの関係など、様々な話題に事欠かない。また、自宅を和風建築にするほどの親日家としても知られている〔オラクルの円柱 シリコンバレー見聞録(土屋直)〕〔日本を晴れ舞台に選んだOracle NC 後藤弘茂のWeekly海外ニュース〕〔ちえの和WEBページ:コンピュータ偉人伝ラリー・エリソン 〕〔Sun社のCEO、辞職の俳句:ギークとhaikuの深い関係 2010年3月22日閲覧〕。近年では、中堅中小規模向けSaaS型ビジネスアプリケーション企業のNetSuite社設立メンバーの一人としても知られる。2014年現在の総資産は500億ドルで、世界で5番目の富豪である〔。フィランソロピー活動でも有名である。 == 経歴 == ニューヨーク出身。アシュケナジム・ユダヤ人の母親のフローレンス・スペルマン(Florence Spellman)は出産当時未婚の19歳で、生後9ヶ月のラリーをシカゴに住む叔母リリアン・エリソンとその夫である義理の叔父ルイス・エリソンに養子として引き取ってもらった。ラリーは実の母の名も知らず育ったが、48歳の時に初めて対面した。 エリソンの育った2LDKのアパートはシカゴの中の下クラスのユダヤ人の多い地区にあった。後にエリソンは、母は愛情深かったが、父は非常に厳しかったと語っている。なお、養父ルイス・エリソンはクリミア出身のロシア系ユダヤ人で、エリス島からアメリカ合衆国に入国したことからエリソンを名乗ったという。ルイスは普通の公務員としてシカゴで不動産を購入したが、世界恐慌の際にそれを失ってしまった。 高校時代は秀才だが、無愛想な生徒だった。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に二年生まで通っていたが、リリアンの死後まもなく退学。カリフォルニア州北部で夏を過ごした後、シカゴ大学で学ぶために実家に戻ったものの三ヶ月でまたも退学し、カリフォルニアへ移住。この頃、コンピュータに触れ始めている。 1970年代、エリソンはアンペックスで働いた。彼の関わったプロジェクトのひとつにCIA向けデータベース開発があり、彼はそれに「オラクル (Oracle)」と名づけた。 エリソンはエドガー・F・コッドのリレーショナルデータベースシステムに関する論文 ''A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks'' に触発され、1977年、自己資金1400ドルでオラクルを設立した。当初の名称は ''Software Development Laboratories'' (SDL) である。1979年、''Relational Software Inc.''に改称し、主要製品Oracle Databaseを出荷後は''Oracle''に改称した。彼はIBMのSystem Rデータベースがコッドの理論に基づいたものであると聞き、Oracleもこれと互換性のある製品にしたかったのだが、IBMはエラーコードを秘密にすることによって互換製品が出てくるのを防いでいた。オラクルの最初の製品はOracle 2であり、Oracle 1は存在しない。このリリース番号は、それ以前のバージョンのバグが全て解決されていることを暗示しようとして付けられた。 2013年2月27日、エリソンが98%の土地を個人所有しているハワイ州のラナイ島(下記当該記事参照)にも定期便を運航している航空会社、アイランドエアーを買収したことが発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラリー・エリソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|