|
ラリー・シャープ("Pretty Boy" Larry Sharpe、本名:Lawrence Weil、1951年6月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ニュージャージー州ポールズボロ出身。 プロレスラー養成所 "モンスター・ファクトリー " の主宰者としても知られる。 == 来歴 == === 現役選手時代 === ニュージャージー大学ではレスリングの選手として活動。1974年、ゴリラ・モンスーンのトレーニングを受け、WWWFエリアでプロデビューを果たす。以降、フロリダ、テキサス、ミッドアトランティックなどNWAの各テリトリーを転戦。1976年4月には全日本プロレスの第4回チャンピオン・カーニバルに初来日したが、キャリア不足もあって全敗の最下位に終わった。 その後、カナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングでリッパー・コリンズと金髪のヒール・タッグチーム、ボディシャス・ブロンズ(''The Bodacious Blondes'')を結成。1976年9月24日、エディ&ジェリー・モローの兄弟チームから同地区認定のインターナショナル・タッグ王座を奪取している。翌1977年1月にはコリンズと共に国際プロレスに来日したが、外国人サイドのエース格としてリップ・タイラーとエディ・サリバンのコンビが同時来日していたため、IWA世界タッグ王座への挑戦は見送られた。 1977年下期よりパートナーをジャック・エバンス(ROH所属の同名選手とは別人)に代えてWWFに登場。9月26日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにて、WWFヘビー級王座獲得前のボブ・バックランドとシングルマッチを行っている。同年12月、エバンスと共にハリウッド・ブロンズ(''The Hollywood Blondes'')のチーム名でプエルトリコに遠征し、カルロス・コロン&ビクター・ジョビカを破りWWC北米タッグ王座を獲得。1978年末にエバンスとのコンビを解消してシングルプレイヤーとなり、同年11月にハワイでドン・ムラコからNWAハワイ・ヘビー級王座を奪取。1979年8月には全日本プロレスに再来日、ミル・マスカラスともシングルマッチで対戦している。 以降もWWFを主戦場に、1980年8月9日にニューヨークのシェイ・スタジアムで行われたビッグイベント "Showdown at Shea" において、アントニオ猪木のNWFヘビー級王座に挑戦(試合はWWFマーシャルアーツ・ヘビー級王座戦として行われた)。直後に新日本プロレスに初参戦し、外国人サイドの2番手となってスタン・ハンセンのパートナーを務め、9月22日の米子大会では坂口征二の北米ヘビー級王座に挑戦した。WWFには1982年まで中堅ヒールとして出場を続け、1981年10月4日には地元のニュージャージーにてブルドッグ・ブラワーと組み、リック・マーテル&トニー・ガレアのWWFタッグ王座に挑戦している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラリー・シャープ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|