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ラリー・ダーカー
ローレンス・エドワード・ダーカー(Lawrence Edward Dierker, 1946年9月22日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ハリウッド出身の元プロ野球選手(投手)・監督。右投右打。 == 経歴 ==
=== 選手時代 === に17歳でヒューストン・コルト45'sと契約。18歳の誕生日である同年9月22日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー〔18歳でのメジャー出場は、現在のところこれが最後である。〕し、初回にウィリー・メイズから三振を奪った。新球場アストロドームに本拠地を移し、それに伴いチーム名がアストロズに変更されたは7勝、は6月14日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャー初完封を達成するなど10勝を挙げる。は故障で6月21日を最後に離脱し6勝に留まるが、は12勝15敗・233.2イニングを記録。は前半戦で12勝を挙げ、オールスターゲームに初めて選出される。20勝13敗・防御率2.33・232奪三振、現在も球団記録の305.1イニング・20完投を記録し、球団初の20勝投手となった。は16勝12敗・防御率3.87の成績。は5月までに9勝を挙げるなど前半戦で12勝を記録し、2度目のオールスターゲームに選出されるが故障のため登板はなく、8月8日を最後に離脱した。は5月の3完封を含め前半戦だけで5完封を記録し、15勝8敗・防御率3.40だった。は肩の故障で出遅れ、復帰後もリリーフとしての登板が多く1勝に終わる。は先発に戻り、11勝10敗・防御率2.90と復活。7月9日のモントリオール・エクスポズ戦でノーヒッターを達成。11月23日に2選手との交換トレードで、1選手と共にセントルイス・カーディナルスに移籍。は故障もあって2勝に留まる。3月28日に解雇され、31歳の若さで現役引退。 引退後はアストロズのフロントに入り、1979年からテレビ・ラジオで専属コメンテーターとして活動した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラリー・ダーカー」の詳細全文を読む
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