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ラリー・ビグビー : ウィキペディア日本語版
ラリー・ビグビー

ラリー・ロバート・ビグビーLarry Robert Bigbie , 1977年11月4日 - )は、アメリカインディアナ州出身の元プロ野球選手左翼手)。右投げ左打ち。
== 経歴 ==
MLBドラフト1巡目(全体の21番目)でボルチモア・オリオールズに指名され契約した。
6月23日にMLBデビューを果たす。
から左翼手のレギュラーを獲得し、には139試合に出場し、打率.280、15本塁打、68打点と自身最高の成績を残した。
しかしその後は度重なる怪我に悩まされ成績が下降し7月にコロラド・ロッキーズに移籍し、同年オフにセントルイス・カージナルスに移籍した。
はMLB出場17試合に終わり解雇された。
アトランタ・ブレーブスと契約するが、MLB昇格することなくシーズン途中で退団し、ロサンゼルス・ドジャースと契約。 しかし、ここでもメジャー昇格はならなかった。
2007年12月5日、横浜ベイスターズに入団が内定。12月13日、ミッチェル報告書において、ビグビーが複数の禁止薬物を使っていた事を告白、報告書はビグビーの証言を元に書かれた箇所も多く、波紋を呼んでいる。ロジャー・クレメンスマーク・マグワイア(共に9ページ分)に次ぐ多さである7ページ分に渡って取り上げられた。12月14日、禁止薬物の使用が発覚すれば契約解除できる要項が契約内容に加わっていることが発覚。フロントから契約解除も示唆された。ただ、ビグビーは使っていた禁止薬物は筋肉増強という目的ではなく、膝の治療のための薬物だったと告白している。結局球団が独自に抜き打ち検査を行うことにビグビー側が合意し、1月11日に入団が正式に決定した。
横浜での2008年は怪我で試合出場が遅れたが、5月の上旬辺りからレギュラーとなり、打順は主に5番~7番を任された。北京オリンピックに伴い、チームの4番・村田修一が代表として離れるので、ビグビーはその時期の4番の候補としても期待されていた。
しかし好調が長続きせず、8月17日に出場選手登録を抹消されたのを最後に一軍に復帰することはなく、シーズンを残したまま10月1日に帰国した。その後、自由契約となった。
北米独立リーグゴールデン・ベースボール・リーグエドモントン・キャピタルズでプレーした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラリー・ビグビー」の詳細全文を読む



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