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ランス・バークマン : ウィキペディア日本語版
ランス・バークマン

ウィリアム・ランス・バークマンWilliam Lance Berkman , 1976年2月10日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ウェイコ出身の元プロ野球選手(一塁手外野手)。左投両打。
かつてニックネームは体格と風貌から「ファット・エルヴィス(太ったエルヴィス・プレスリー)」と呼ばれていたが、2006年にバークマンがラジオ番組で「自分を何かに例えるならプーマだ」と自らニックネームを提案し、「ビッグ・プーマ (Big Puma)」が浸透していった〔岡田弘太郎 「知られざる強打者 君はバークマンを見たか」『月刊スラッガー』2008年9月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-9、28 - 30項。〕。
現役ではマーク・テシェイラカルロス・ベルトランらと並んでMLBを代表するスイッチヒッター。シーズン40本塁打以上を2度記録しているが、他にこの記録を達成しているスイッチヒッターはMLB史上でもミッキー・マントルだけである〔。
== 経歴 ==
4、5歳のころから父親に野球を教わる。投げるときは左、打つ時は右だったため、父親がファンだったミッキー・マントルのようなスイッチヒッターにすることを思いついた。家の裏に古タイヤを吊るし、毎日左右で50回ずつ打たせて練習させた。
ライス大学在籍時のに打率.431・41本塁打・134打点の成績でウェスタン・アスレチック・カンファレンス三冠を達成〔。ライス大学史上初のカレッジ・ワールドシリーズでバークマンは最優秀選手に選出された〔。同年6月のドラフト1巡目(全体16位)でアストロズから指名を受け、プロ入り。直後からマイナーリーグA級キシミーで試合に出場。53試合の出場で打率.293・12本塁打・35打点という成績を残した。翌にはAA級ジャクソンに昇格。ここでも122試合で打率.306・24本塁打・89打点と打ちまくり、シーズン途中でAAA級ニューオーリンズに昇格。打率こそ.271と平凡な数字に終わったが、17試合の出場で6本塁打・13打点を記録。
も前年に引き続きニューオーリンズでプレイ。64試合の出場で打率.323・8本塁打・49打点という成績を記録し、シドニー五輪米国代表メンバーに選ばれた。しかし7月16日にメジャーデビューを果たしたため、代表入りは辞退している。メジャーでは打率.237と振るわなかった。翌にメジャーに定着。114試合で打率.297・21本塁打・67打点を記録。また2000年は一時マイナーに落とされていた時期があったが、そこでは31試合で打率.330・6本塁打・27打点を記録している。
この活躍に伴い、シーズン終了後にロジャー・セデーニョをトレードでデトロイト・タイガースへ放出。は完全に左翼のレギュラーポジションを奪取。55二塁打を放ち、スイッチヒッターとしてはMLB初となる50二塁打と30本塁打の同時達成を成し遂げた。また、オールスターゲームまでに21試合連続安打を記録し、自身初のオールスター出場を果たした。球団はバークマンと3年総額1050万ドルで契約延長〔。
は開幕から好調。スイッチヒッターとしてオールスター前までに29本塁打を記録したが、これはにミッキー・マントルが記録した29本塁打に並ぶ記録である。2年連続となるオールスター出場を果たし、最終的にはナ・リーグの打点王に輝いた。その活躍を評価され、MVPの投票では3位につけた。
は数字が軒並み低下。には復調し打率.300・30本塁打・100打点を超える成績を残し、地元開催となったオールスターに2年ぶりに選出され、試合前日に行われたホームランダービーではミゲル・テハダに次ぐ2位となった。しかし、シーズン終了後にタッチ・フットボールに興じていた際に右膝の前十字靭帯を断裂してしまい、手術を受けることになった。
球団はシーズン終了後にFAとなるバークマンと開幕前の3月に6年総額8500万ドルで契約延長した。前年のけがのため初出場は5月6日と出遅れ、5月こそ1本塁打止まりだったものの、徐々に調子を上げ始め、9月だけで11本塁打を記録。チームをポストシーズン出場へと導き、そこでも14打点を挙げた。翌に記録した45本塁打・136打点は自己最多で、本塁打・打点の球団記録保持者ジェフ・バグウェルの記録に本塁打は2本足りなかったが、打点を9年ぶりに1つ更新した。MVP投票でも3位に入った。
FAで移籍してきたカルロス・リーと並ぶ打線の軸として出場。左打席での打撃不振のため、打率.278・34本塁打・102打点と前年より成績を落とした。
は、前半戦こそ三冠王を争うレベルの成績を残していたが、7月以降はわずか7本塁打しか放てず、29本塁打にとどまった。一方で、2年ぶりに打率.310以上を記録したほか、自己最多の18盗塁も記録した。
7月に左脹脛の肉離れでDL入りを経験するなど、136試合の出場に終わった。最終成績は、2年ぶりに.270台の打率となる。本塁打は25本放ち、10年連続で20本塁打以上、四球97も、9年連続での90四球以上となった。
、アストロズで85試合に出場していたが、打率.245、13本塁打と成績が低迷した。その後、7月末のトレード期限直前にマーク・マランソンジミー・パレデスとの交換でニューヨーク・ヤンキースへとトレードされる。ヤンキースでも37試合で打率.255に留まり、終盤戦ではツープラトン要員に格下げとなって起用された。結局2球団の通算打率、本塁打、出塁率、長打率、OPSが新人のシーズン以来最低の数字となった。オフにFAとなり、セントルイス・カージナルスと1年契約を結んだ。
は4年ぶりの30本塁打となる31本を放つなど打撃が復活し、カムバック賞を受賞した。また自身初のワールドシリーズ制覇にも、第6戦で逆転の2ランホームラン、10回裏に同点タイムリーを放つなどして貢献した。
は膝を痛めてしまい2度の手術、32試合の出場に留まった。
1月5日、引退もささやかれたが、テキサス・レンジャーズと1年1000万ドルで契約した〔Rangers Sign Lance Berkman MLB Trade Rumors〕。2011年に「TEXは昨年ワールドシリーズに出場したが、今年の戦力は平均レベル。エイドリアン・ベルトレと長期契約を結んだのは間違いだ」と発言していたため、入団が決まってから謝罪した。10月31日、1200万ドルの契約オプションをレンジャーズが破棄したためFAとなった〔Texas Rangers decline $12 million contract option for Lance Berkman The Dallas Morning News〕。
1月29日に現役引退を表明した。2月12日には4月5日に行われるアストロズ対エンゼルス戦で、2月11日に引退したロイ・オズワルトと共に古巣・アストロズと1日契約を結び、引退セレモニーを行うことが発表された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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