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ランディ・タイラー(Randy Tyler、本名:Monroe Alton Rice Jr.、1951年12月13日 - 2002年7月22日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシシッピ州カントン出身。生年は1949年、出身地はカナダのモントリオールともされる〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P76(2002年、日本スポーツ出版社)〕。 巨漢のラフ&パワーファイターとして、NWAの南部テリトリーを主戦場に、主にヒールのポジションで活動した。 == 来歴 == キャリア初期の1960年代末から1970年代前半にかけてはリップ・タイラーの「弟」を名乗り、リップとの兄弟ギミックの悪役タッグチーム、タイラー・ブラザーズで活動。ジョージアやアラバマといったディープサウスから、地元ミシシッピやオクラホマなどミッドサウスのトライステート地区まで各地を転戦し、1974年9月にはルイジアナ州ニューオーリンズにてスタン・ハンセン&ボブ・スウィータンと対戦した。 タイラー・ブラザーズ解散後、ボビー・ジャガーズを新パートナーにテキサス西部のアマリロ地区で活動。ドリー・ファンク・ジュニア、スコット・ケーシー、レイ・スティーブンスらと対戦し、フランク・グーディッシュとも大型タッグを組んだ。1976年4月16日にはジャガーズとのコンビでリッキー・ロメロ&シルバー・ストリークからNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を奪取している。 以降、中西部のセントラル・ステーツ地区などを転戦後、1978年8月に全日本プロレスに初来日。6人タッグマッチでミル・マスカラス&ドス・カラスのパートナーにも起用された。帰国後は古巣のトライステート地区にてベビーフェイスに転向、11月18日にマイク・ジョージと組んでボビー・ジャガーズ&ジェリー・ブラウンから同地区認定のNWA USタッグ王座を奪取した。 1979年はテネシー州メンフィスのCWA(旧NWAミッドアメリカ、後のUSWA)に参戦し、ロン・バスを相手に南部ヘビー級王座を巡る抗争を展開。帝王ジェリー・ローラーともタッグを組み、マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディのファビュラス・フリーバーズやラリー・レイザム&ウェイン・ファリスのブロンド・ボンバーズなどと対戦した。 1980年6月、当時テネシー地区との提携ルートを持っていた国際プロレスに来日。スパイク・ヒューバーやジェイク・ロバーツなど同年代の若手外国人選手が中心となったシリーズにおいて、その巨体を買われラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座への挑戦権を獲得。7月13日の兵庫県八鹿町大会にて挑戦したが、木村が初公開した裏足4の字固めに敗れた。 その後、R・T・タイラーと名乗ってフロリダ地区にてボビー・ジャガーズと再合体、ジャガーズのギミックに合わせてカウボーイ・スタイルのヒールに変身し、カウボーイ・コネクションなるタッグチームを結成。1980年12月20日、バリー・ウインダム&スコット・マギーからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取し、翌1981年にかけてダスティ・ローデスやマニー・フェルナンデス、バグジー・マグロー、スティーブ・カーン、ジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコらと抗争。ローデス&アンドレ・ザ・ジャイアントのドリーム・チームともタイトルを争った〔。 1981年下期はカルガリーのスタンピード・レスリングに参戦し、同じくカウボーイ系ギミックのビル・アーウィンとのタッグなどで活動。デビッド・シュルツとの連戦も行われた。同地区ではベビーフェイスのポジションに回り、若手時代のブレット・ハートともタッグを組んでいる。 セミリタイア後は、1984年12月4日にジム・クロケット・プロモーションズのハウス・ショーにてNWA USヘビー級王者のワフー・マクダニエルと対戦。WWFのTVテーピングにも単発出場しており、1988年11月15日にはアルティメット・ウォリアー、1991年3月26日にはカート・ヘニングと、当時のWWFインターコンチネンタル王者のジョバーを務めた。 2002年7月22日、死去〔。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ランディ・タイラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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