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ランディ・マイヤーズ(Randall Kirk Myers , 1962年9月19日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手。左投左打。アメリカ合衆国ワシントン州バンクーバー出身。 == 人物・来歴 == ニューヨーク・メッツに入団し、10月6日にメジャー初登板。 にチームはワールドシリーズ制覇を果たすが、この年は10試合の登板にとどまる。 には54試合に登板し、3勝6敗6セーブ、防御率3.96だが、持ち前の速球で75回を投げ92三振を奪う。 翌にメッツはワールドシリーズ制覇時のリリーフエース、ジェシー・オロスコをロサンゼルス・ドジャースに放出し、マイヤーズをクローザーとして起用。 期待にこたえて26セーブをあげ、チームの地区優勝に貢献。 翌も24セーブをあげるが、この年のオフにシンシナティ・レッズのクローザー、ジョン・フランコとの交換トレードで移籍。 レッズ移籍初年度のにはロブ・ディブル、ノーム・チャールトンと共に速球派の救援投手トリオ「Nasty Boys」を形成。 クローザーとして31セーブをあげ、チームの地区優勝に貢献。オールスターにも初出場を果たした。 ピッツバーグ・パイレーツとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズでは2セーブをあげ、ディブルとともにMVPに選ばれる。 オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズでは、最終戦となった第4戦にセーブを記録し、ワールドチャンピオンに貢献した。 はクローザーをディブルに譲り、先発に転向したが失敗。6勝13敗6セーブに終わり、翌にはサンディエゴ・パドレスに移籍。 再びクローザーとして起用され、38セーブをあげる。 にはシカゴ・カブスに移籍して53セーブをあげ、ナ・リーグの年間セーブ記録、及びメジャーの左腕投手の年間セーブ記録を更新した。 とには2年連続してオールスター出場。1995年には38セーブをあげ2度目の最多セーブに輝く。 には、5球団目で初のア・リーグとなるボルチモア・オリオールズに移籍。この年は31セーブ、翌はリーグ最多の45セーブをあげ、オールスター出場。 にはトロント・ブルージェイズに移籍し、この年も28セーブを記録するが、シーズン途中でパドレスに移籍。 移籍後はトレバー・ホフマンが居ることもあって中継ぎとしての起用となったが、結果的にこの年が最後となった。 パドレスとから2年の大型契約を結ぶが、肩を故障。 1999年に回旋腱板手術を受けたが復帰できず、限りで解雇された。 2000年の年俸は約700万ドルで、パドレスと保険会社の紛争は法廷にまで及んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ランディ・マイヤーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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