翻訳と辞書
Words near each other
・ ラーク (旅客列車)
・ ラークイラ
・ ラークイラ県
・ ラークカップ
・ ラークカップゴルフ
・ ラークシャサ
・ ラークシャサ (ダンジョンズ&ドラゴンズ)
・ ラークシャスタール湖
・ ラークシャスブヴァンの戦い
・ ラークシャーサ
ラークスエンタテインメント
・ ラークス・ヘッド
・ ラークライト 伝説の宇宙海賊
・ ラーク語
・ ラーグ
・ ラーケン
・ ラーケン・ノートルダム教会
・ ラーケーリー
・ ラーケーリーの戦い
・ ラーゲ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ラークスエンタテインメント : ウィキペディア日本語版
スタジオ雲雀[すたじおひばり]

株式会社スタジオ雲雀(スタジオひばり、)は、アニメーション企画制作を主な事業内容とする日本企業日本動画協会正会員。
== 概要 ==
1979年、仕上専門スタジオとして設立。スタジオの名は、「たとえ小さくとも美しい声で鳴く、ヒバリのようなスタジオにしたい」との願いから名づけた〔WEBアニメスタイル「いろんな会社にオジャマしちゃおう! 第3回 スタジオ雲雀」 - 2007年3月23日閲覧〕。1980年、『無敵ロボ トライダーG7』で1話丸ごとの制作を請け負うグロス請けを開始した。代表取締役会長の光延幸子は日本アニメーションの制作協力として土田プロダクション(以下、土田プロ)が制作した『がんばれ!ぼくらのヒットエンドラン』の色彩設計として、夫で東映動画出身のアニメーション監督・演出家の光延博愛は土田プロ制作作品で各話演出やチーフディレクターとして活動したことから土田プロとの付き合いが深く、設立当初は仕上の請負と土田プロのグロス請けが活動の中心だった。
1985年、息子の光延青児が専務取締役となる。翌1986年に土田プロが倒産した後は、小学館プロダクションケイエスエス製作作品の元請制作が中心となった。2002年、青児が代表取締役社長に就任。2006年には、自社企画のオリジナルテレビシリーズ『おろしたてミュージカル 練馬大根ブラザーズ』を手がけた。
同年、3DCG部門を「株式会社ラークスエンタテインメント」()として分社化。2011年頃にはアニメーション制作チーム「ラルケ」()を結成し、以後、その名義での制作も行っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スタジオ雲雀」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Studio Hibari 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.