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ラージャヨーガ(「王のヨーガ」の意)は、瞑想(ディヤーナ)によって心を涵養し、真実在への理解を深めて最終的に解脱を達成することを目指すヨーガの体系である。古典ヨーガ、アシュターンガ・ヨーガ(八支ヨーガ)ともいう。 ラージャヨーガはパタンジャリの『ヨーガスートラ』が初めて述べたところのものであり、サーンキヤ学派と密接に関連する〔K A Jacobsen & G J Larson ''Theory And Practice of Yoga: Essays in Honour of Gerald James Larson,'' p. 4.〕。 ヒンドゥー哲学の文脈において、ラージャヨーガはヨーガ学派と呼ばれる。ヨーガ学派はヒンドゥー哲学の六派のひとつである。 == 呼称 == ラージャヨーガは、16世紀〔年代については14世紀とする説から16-17世紀頃とする説まである。〕の『ハタヨーガプラディーピカー』において、行者スヴァートマーラーマが解説した当時の比較的新しい流派であるハタヨーガから、パタンジャリの『ヨーガスートラ』に基づく流派を区別するために導入された、ひとつのレトロニム(新たなものの出現の際に旧来のものを表すために造られる新語)である。また、ヒンドゥー教の新宗教運動であるブラフマ・クマリスでは、そのまったく独自の瞑想実践をラージャヨーガと呼んでいる。 ラージャヨーガという語の文献上の初出は『ハタヨーガプラディーピカー』であるが、作家でヨーガ研究家の伊藤武は、同書のいうラージャヨーガは20世紀に広まったヨーガの分類でのラージャヨーガとは意味が異なるとする。『ハタヨーガプラディーピカー』やそれ以降のハタヨーガやタントラ系の古文献でのラージャヨーガは、ハタヨーガの最終段階であるラヤヨーガ(クンダリニーヨーガ)のことを指していたり、ハタヨーガの奥義といった意味で使われている、と伊藤は指摘する。一方、近代にはヴィヴェーカーナンダがヨーガにラージャという言葉を冠して、ヴェーダーンタ哲学に立脚し『バガヴァッド・ギーター』と『ヨーガスートラ』の二大聖典に依拠した総括的なヨーガの理念を謳い上げ、カルマ、バクティ、ジュニャーナ、ハタという四大ヨーガを概説した。伊藤によれば、今日のラージャヨーガの一般的な意味は、元はヴィヴェーカーナンダの用いた総括的なヨーガの美称であったラージャヨーガが、前述の四大ヨーガとは別のヨーガの王道であると解釈されて広まったものであるという。 ラージャヨーガはアシュターンガ・ヨーガ(8支分からなるヨーガ、8階梯のヨーガ)と呼ばれることもある。これは、行わなければらない8つの位相があるためである。これをパッタビ・ジョイスのアシュターンガ・ヴィンヤーサ・ヨーガと混同してはならない。 パタンジャリは、第2章の冒頭で「苦行、読誦、自在神祈念の三つを行事ヨーガという」と述べているように、そのヨーガ体系のうち日常の行事として行うヨーガを「クリヤーヨーガ」(行事ヨーガ)と呼んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラージャ・ヨーガ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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