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ラージャーラーム2世 : ウィキペディア日本語版
ラージャーラーム2世[らーじゃーらーむ2せい]

ラージャーラーム2世(Rajaram II, 1726年6月 - 1777年12月11日)は、インドデカン地方マラーター王国の君主(在位:1749年 - 1777年)。
==生涯==
1726年6月、かつてマラーター王であったシヴァージー2世の息子として生まれた〔Satara 3 〕。
1745年、マラーター王シャーフーの養子となる〔。
1749年12月15日、父王シャーフーが死亡したのち、王位継承で宮廷内に紛争があったが、ラージャーラームがラージャーラーム2世として王位を継承した〔。この王位継承は王国で隠然たる力を持っていた祖母ターラー・バーイーによるところが大きかった〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.216〕。
だが、ラージャーラーム2世は王位を継承したのち、ターラー・バーイーと対立したため、ターラー・バーイーは彼が自身の孫ではないと言い出すようになった。こうした政治的混乱のため、1750年に宰相バーラージー・バージー・ラーオは王国の行政府をサーターラーからプネーに移し、同時に王国の実権は宰相の手に握られた〔〔チャンドラ『近代インドの歴史』、p32〕。
1777年12月11日、ラージャーラーム2世は死亡し、養子のシャーフー2世が王位を継承した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラージャーラーム2世」の詳細全文を読む



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