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ラーマ・デーヴァ・ラーヤ : ウィキペディア日本語版
ラーマ・デーヴァ・ラーヤ
ラーマ・デーヴァ・ラーヤテルグ語:రామ దేవ రాయలు, タミル語:ராம தேவ ராயன், Rama Deva Raya, 1600年頃- 1630年5月24日)は、南インドヴィジャヤナガル王国アーラヴィードゥ朝の君主(在位:1617年 - 1630 年)。ヴィーラ・ラーマ・デーヴァ・ラーヤ (Vira Rama Deva Raya)とも呼ばれる。
==生涯==
1614年、父王シュリーランガ2世やその家族が従兄弟ジャッガ・ラーヤに殺害されたとき、その息子であるラーマ・デーヴァ・ラーヤは運よく首都ヴェールールか脱出することに成功した。
ジャッガ・ラーヤはそののちヴィジャヤナガル王となったが、ラーマ・デーヴァ・ラーヤはタンジャーヴール・ナーヤカ朝ラグナータ・ナーヤカなどの助力を得て、1616年末に挙兵した。
1617年初頭、ラーマ・デーヴァ・ラーヤはヴェールール近郊のトップールでジャッガ・ラーヤを破り(トップールの戦い)、ヴィジャヤナガル王国の君主となった。
ラーマ・デーヴァ・ラーヤは権力を保持し、その統治は年を追うごとに自信に満ちたものになっていたが、オランダ東インド会社の職員アブラハム・ロヘリウスによると、その性格は粗暴で傲慢だったようだ。

1630年5月24日、ラーマ・デーヴァ・ラーヤは死亡し、その王位は叔父にあたるヴェンカタ3世が継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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