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ラーメースワン
ラーメースワン王(1339年 - 1395年)はタイのアユタヤ王朝の王の一人。ウートーン家とスパンブリー家の争いのため地位が安定せず、アユタヤ王朝史上唯一の二回も王位に就く事になった王である。ラーメースワンとはアユタヤ王朝初期100年間、皇太子の称号として使われていたものである。父親、ラーマティボーディー1世の元ではロッブリーの王であったが、父が死亡すると皇太子としてその後をついで王になった。クメール遠征ではアンコール・トムの攻略に失敗。スパンブリーの王であったパグワの加勢を得てようやく攻略に成功した。この後、ラーメースワンの権威は失墜し、パグワの権限が高まったためパグワはアユタヤに昇りクーデターを実行した。後にパグワが崩御しその息子トーンチャンが王位に就くと、ラーメースワンはアユタヤへ登りクーデターを起こし、王位に再び就いた。その治世中にはクメールやチエンマイを攻撃した。 ==関連項目==
*タイ君主一覧
category:アユタヤ王朝の君主
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラーメースワン」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ramesuan 」があります。
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