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リカルジーニョことヒカルド・アウヴェス・ペレイラ(Ricardo Alves Pereira "Ricardinho"、1988年8月8日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。 == 来歴 == 2003年にアトレチコ・パラナエンセの下部組織に加入。2004年に16歳でトップチームに加わり、2005年8月20日に本拠地でのサンパウロFC戦でプロデビュー〔 rubronegro.net (2005年8月20日)〕。同じくアトレチコPRに所属したリカルドと区別するため、リカルジーニョ(若いリカルド〔縮小辞の「inho(ィーニョ)」を付けることで、対象の若さ(あるいは小ささ、少なさなど)を表す。〕)の愛称が付けられた。ユース代表として2004年の南米U-16選手権〔2005年以降「U-15」で開催されているが、2004年の第1回大会は「U-16」として開催。〕及び2005年の同U-17選手権、仙台カップにも出場〔【2010シーズン始動!】F東京:新体制発表記者会見でのコメント (1) J's GOAL (2010年1月24日)〕。 2006年、アトレチコPRはアメリカ・MLSのFCダラスと提携を結び、2007年3月のダラスとの親善試合ではリカルジーニョが決勝点を挙げ、アトレチコPRの勝利に貢献。同年6月にはクラブ間でリカルジーニョをダラスへレンタル移籍することで合意し〔Furacão empresta Ricardinho ao FC Dallas アトレチコ・パラナエンセ (2007年7月10日)〕、翌7月に移籍が発表された〔Ricardinho joins FC Dallas from partner club Atletico Paranaense PEGASUS NEWS (2007年7月24日)〕〔これ以後も、アンドレ・ローシャやダビド・フェレイラが、アトレチコPRからダラスへとレンタル移籍している。〕。ダラスでは2シーズンプレー。 2010年、Jリーグ1部(J1)・FC東京へレンタルで加入〔 FC東京 (2010年1月22日)〕。第3節セレッソ大阪戦でJリーグデビュー。リーグ戦29試合で1得点とFWとしては結果を残せなかったが、同年9月に大熊清監督が就任して以降は、突破力のあるサイドアタッカーとして〔リカが突破口開く! 大熊監督がキーマンに指名 東京中日スポーツ (2010年10月22日)〕、主に左サイドハーフで起用された。移籍期間満了に伴い、同年限りでFC東京を退団した〔リカルジーニョ選手について FC東京 (2010年12月29日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リカルド・アウベス・ペレイラ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ricardo Alves Pereira 」があります。 スポンサード リンク
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