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リカルド・ズニーノ
リカルド・ズニーノ(Ricardo Héctor Zunino, 1949年4月13日 - )は、アルゼンチン出身の元F1ドライバー。 == 来歴 == 1977年、ユーロレーシングからヨーロッパF2選手権に参戦。翌1978年はマーチのワークスチームから出走し、選手権12位に入る〔。1979年オーロラF1選手権に参加、ブランズ・ハッチで優勝するなど39ポイントを獲得しランキング5位を記録した。 この年のカナダGPでF1デビュー。ズニーノがレース観戦のためモントリオールに訪れた〔『F1 RACING日本版』 三栄書房、2010年6月号、31頁。〕際に、ブラバムのニキ・ラウダがフリー走行後突然引退し、その後釜としてブラバムでテスト走行の経験があったズニーノが急遽出走する事になった〔。そのため、予選にはラウダが残していったヘルメットとレーシングスーツを着用して臨んだ〔『オートスポーツ』 三栄書房、1979年12月1日号、83頁。〕。このレースで最高位4位を記録し最終的に7位で完走〔、翌アメリカGPでは予選9位に入る〔。1980年はブラバムのレギュラードライバーとして出走し、アルゼンチン、ブラジルGPでそれぞれ7位・8位完走を果たすが、以降は低速しフランスGPを最後に解雇される〔。翌1981年、非選手権レースとして開催された南アフリカGPでブラバムに戻って出走〔した後、ブラジルGPからティレルに加入するも2戦出走後、ミケーレ・アルボレートと交代する形で再びシートを失う。その後、1982年にフォークランド紛争が起こったためF1参戦を断念した〔。 引退後は地元アルゼンチンのバレアルでリゾートホテルを経営している〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リカルド・ズニーノ」の詳細全文を読む
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