|
リカルジーニョ(Ricardinho)こと、リカルド・フェリペ・ダ・シルバ・ブラガ(Ricardo Filipe Da Silva Braga、1985年9月3日 - )はポルトガルのフットサル選手。スペインのインテル・モビスター所属。ポジションはアラ。 == 来歴 == ポルトガルのポルトに生まれる〔Sports Graphic Number 764号『FACE リカルジーニョ(フットサル)』〕。幼少の頃からサッカー選手としてプレーしていたが、「身長が低い」などの理由でフットサルに転向する。15歳の時にSLベンフィカに入団し、以降は同クラブにてプレー。アジウの指導もあって頭角を表し、卓越したテクニックで「世界有数のフットサルプレイヤー」と評価されるに到る。サッカー選手で同じポルトガル出身のクリスティアーノ・ロナウドによく例えられる〔〔フットサル界のC・ロナウドがFリーグに参戦 スポーツナビ 2010年7月15日付〕〔2010年8月16日放送『やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜』内で「フットサル界のクリスティアーノ・ロナウドと呼ばれる」と紹介された。〕。2009-10シーズンのUEFAフットサルカップではベンフィカの優勝に大きく貢献した。 フットサルポルトガル代表でも中心選手であり、2007年の自国開催となったUEFAフットサル選手権(4位)では優秀選手賞として表彰され、2010年(ハンガリーで開催)の同大会でも準優勝の立役者となった。2008年のワールドカップ・ブラジル大会や2012年の同・タイ大会にも出場。 2010年7月、SLベンフィカ時代に指導を受けたアジウが監督を務める名古屋オーシャンズに3年契約で移籍した。初の公式戦となるFリーグ大洋薬品オーシャンアリーナカップではベンフィカ所属時の出場停止のペナルティが国際サッカー連盟の規定により持ち越された為に決勝戦からの登場となったが、試合ではさっそく2得点を挙げ、名古屋に同カップ初優勝をもたらした。リーグ戦でも名古屋の4連覇に貢献し、得点王争いでは31点で3位に終わったもののMVP・ベストファイブにそれぞれ選出された。 2011年6月、リカルジーニョは家族が福島第一原子力発電所事故による放射能汚染を危惧していることなどから、ロシアのCSKAモスクワに1年間のレンタル移籍をすることとなった〔2011年6月11日付中日新聞スポーツ面〕。なお保有権は引き続き名古屋が保持し、残り2年の契約を1年間延長した上で2012年シーズンより2年間は名古屋でプレーすることを確約していた〔リカルジーニョ選手・レンタル移籍のお知らせ - 名古屋オーシャンズ公式サイト、2011年6月11日〕。同年12月、本人の申し出によりレンタル先が古巣のベンフィカになり〔2012年7月25日付中日スポーツ9面〕、移籍期間終了後の2012年7月より名古屋に復帰 〔リカルジーニョ選手について - 名古屋オーシャンズ、2012年5月31日配信〕。6連覇に貢献し、このシーズンもMVPおよびベストファイブに選出された。 しかし、Facebook上で残り1年の契約の一方的な破棄を宣言し、2013年シーズンは選手登録がなされておらず、背番号7もほかの選手が背負っている。2013年9月の名古屋オーシャンズからの公式発表で、スペインのインテル・モビスターへの移籍が発表された〔リカルジーニョ選手 移籍のお知らせ - 名古屋オーシャンズ、2013年9月6日配信〕。インテルでは2013-14および2014-15シーズンでそれぞれMVPに輝いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リカルド・フェリペ・ダ・シルバ・ブラガ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|