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リクビダートル()とは、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所事故の処理作業に従事した人々。原語は清算人の意味で後始末を行う人を指し、しばしば清掃人、事故処理班、解体作業者、決死隊等と翻訳・説明される。 == 概要 == リクビダートルの総数は60~80万人、そのうち1986年と1987年に作業にあたった約20万人が大きな被曝を受けたとされている。事故処理作業時の平均年齢は約35歳。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアそれぞれでリクビダートルの国家登録が行われている〔1995年時点の登録者数は約37万人--今中哲二「チェルノブイリ原発事故によるその後の事故影響 」『技術と人間』1997年5月号〕。ロシアに住むリクビダートルのうち65905人(平均被曝量120ミリシーベルト)を対象に1991年から1998年までを追跡した結果によると、その間の死亡は4995件(7.6%)であった〔今中哲二「チェルノブイリ事故による死者の数 」『原子力資料情報室通信』386号、2006年〕。ベラルーシでのある調査によると、地元一般住民に比べて結腸癌や膀胱癌、甲状腺癌がはっきりと過剰に発生している〔「チェルノブイリ原発事故後の傾向を示している国家ガン登録 」" A national cancer registry to assess trends after the Chernobyl accident " ; A. E. Okeanov, E. Y. Sosnovskaya, O. P. Priatkina Clinical Institute of Radiation Medicine and Endocrinology Research, Minsk, Belarus ; Swiss Medical Weekly 2004; 134:645-649〕 。 リクビダートルは、ソビエト連邦政府から表彰され、危険な労働の代償として、住居・高額の年金・無料の医療などが生涯保障された。ソビエト連邦崩壊の後、これらの特権は分離独立したウクライナ・ロシア・ベラルーシの政府に引き継がれた。しかし、経済の低迷が続くなか、年金は大幅に目減りし、医療費は事実上自己負担を求められている。 ウクライナ放射線医科学研究所所長ブロディミール・ベベシコらは、ウクライナに住むリクビダートル20万人の健康状態を追跡調査。癌による死者の調査は、1992年から資金不足で打ち切られる2000年まで、9年間毎年行われ、リクビダートルの癌による死亡率は事故後年々上昇し、2000年には一般住民の3倍に達していたことがわかった。 国際原子力機関IAEAは世界各国から100人を超える科学者を招集し、チェルノブイリ原発事故の被害を客観的に評価する会議を開催、2005年9月、事故と健康被害との因果関係を限定的に見る報告書を発表した。「事故の死亡者が何万人、何十万人に上るという主張があるが、これは誇張である。多くは放射線の影響と言うより、貧困や医療の不備によるもので、酒の飲みすぎ、タバコの吸いすぎの方が問題である」、リクビダートルの死者について「被曝が原因で死亡した可能性があるのは50人」としている。この報告書に対して、各国の研究者から反論が相次いだ。 旧ソビエト連邦政府によってリクビダートルとその家族4万人のための集合住宅がキエフに設けられた。事故から10数年以上たって、この集合住宅では病気で死亡する人が急増。移住してきた4万人は、2万人にまで減っている。〔「汚された大地で~チェルノブイリ 20年後の真実~ 」NHKスペシャル、2006年4月16日放映〕 File:Médailles liquidateurs.jpg|ソ連政府から授与されたバッジ File:Médaille Tchernobyl goutte de sang.jpg|バッジの細部、アルファ線・ベータ線・ガンマ線・血液 File:The sign in memory of the liquidators of the Chernobyl accident.JPG|ハルキウ(ハリコフ)にある記念碑 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リクビダートル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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