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ポール・リクール (Paul Ricoeur、1913年2月27日 - 2005年5月20日) は、20世紀フランスを代表する哲学者の一人。解釈学、分析哲学、現象学、時間論、歴史哲学、宗教哲学、政治哲学、神学などに業績を持つ。主著『時間と物語』。 == 生涯 == フランス南東部ヴァランスの生まれ。幼くして両親を亡くす(父親は第一次大戦での戦死)。レンヌに育つ。レンヌ大学を経て、1934-35年はパリ・ソルボンヌ大学で学ぶ。ラシュリエとラニョーについての修士論文を提出。 第二次大戦に出征、ドイツ軍の捕虜としてポーランドの捕虜収容所で数年間拘留。 戦後、CNRSを経て、ジャン・イポリットの後任としてストラスブール大学助教授。また捕虜時代の仲間であった美学者M.デュフレンヌと共著でヤスパースについての研究書を出版。『意志的なものと非意志的なもの』を主論文、フッサール『イデーン』の仏訳を副論文として、国家博士号を取得。名実ともにフランスにおけるドイツ哲学研究の第一人者になる。 1956年、パリ大学の哲学教授。1960年『過ちやすき人間』『悪の象徴系』。この頃一時期デリダがリクールの助手を務めていた。1965年『解釈について--フロイト試論』出版、ラカン派との激しい論争が起こる(ラカンはこれを契機にそれまで躊躇っていた『エクリ』(1966)の公刊に踏み切った)。1968年5月革命の際にはパリ大学ナンテール校学長として同大学学生との折衝役を務めた。1969年、コレージュ・ド・フランスの教授に立候補するも、投票の結果、1970年にフーコーが選出される。 アメリカでも活動し1973年からシカゴ大学神学部教授を併任。英米の言語哲学との相互影響が顕著になる。またシカゴ大学同僚の宗教学者エリアーデと交友。 1981-83年主著『時間と物語』。「物語的自己同一性」(identite narrative)の概念を提示。「ヘーゲルを断念する」と述べ、相前後して刊行されたリオタール『ポストモダンの条件』と共に、思想界の一時代を画する仕事になった。歴史学のアナール学派第三世代の動向とも連動する。 2000年『記憶、歴史、忘却』出版、デリダとの間で「赦し」(pardon)の観念をめぐって議論。ピエール・ノラ『記憶の場』に論及。同年京都賞受賞。日本においても、多くの研究者により、彼の哲学の研究が進められている。 2005年に自宅にて老衰のため死去。92歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・リクール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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