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リシャール・デタンプ(Richard d'Étampes, 1395年 - 1438年6月2日)は、フランス・ブルターニュ公国の貴族。ドルー家の一員でリシャール・ド・モンフォール(''Richard de Montfort'')、リシャール・ド・ブルターニュ(''Richard de Bretagne'')とも呼ばれる。ヴェルテュ伯、ブノン伯、マント伯およびエタンプ伯。 ブルターニュ公ジャン4世とその3番目の妻でナバラ王シャルル2世の娘であるジャンヌの間の第8子、四男として生まれた。ブルターニュ公ジャン5世、アルテュール3世の弟。 1423年、オルレアン公ルイの娘で又従妹にあたるマルグリット・ドルレアンと結婚し、間に7人の子女をもうけた。 *マリー(1424年 - 1477年) - フォントヴロー女子修道院長 *イザベル(1426年 - 1438年) *カトリーヌ(1428年 - 1476年) - 1438年、オランジュ公ギヨーム7世・ド・シャロンと結婚 *フランソワ2世(1435年 - 1488年) - ブルターニュ公 *次男(名前不明、1436年) *マルグリット(1437年 - 1466年) - 修道女 *マドレーヌ(1439年 - 1462年) - 修道女 この結婚に伴い、妻の従兄にあたるフランス王シャルル7世によりエタンプ伯に叙せられた。しかし当時は百年戦争中で、エタンプ伯領はシャルル7世の陣営と敵対するブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンの占領下にあったため、伯爵位は名目上のものであった。またエタンプ伯領はブルゴーニュ公の従弟ジャン・ド・ブルゴーニュが相続権を主張していた。エタンプ伯領は1435年にようやくリシャールに譲渡された。1438年、クリッソン城(Château de Clisson)にて没した。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リシャール・デタンプ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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