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リジェ・JS31はミッシェル・テツとミッシェル・ボージョンが中心となり設計したF1マシンで、1988年シーズンにリジェチームが使用した。 == 概要 == 1988年シーズンは、ターボエンジンと自然吸気エンジンの混走となり、JS31はジャッドの自然吸気エンジンを搭載していた。この年、ターボ車の燃料タンクが150リットルに制限されていたのに対し、自然吸気車のタンクには制限がなかった。自然吸気車は1レースで200リットル近い燃料を消費した。1988年はレース中の燃料補給が禁止されていたため、自然吸気車はターボ車よりも大きな燃料タンクを搭載する必要があった。 JS31の大きな特徴は燃料タンクが2分割されていたことである。ドライバー背後の一般的な位置に120リットル、エンジンとギアボックスの間に80リットルの燃料タンクが配置され、合計で200リットルの容量があった〔『F1グランプリ特集 1989年1月号』 p.67 CBSソニー出版〕。燃料タンクを分割して搭載する目的はハンドリングを安定させること〔『F1GP '88-'89』p.78 山海堂 1988年12月〕と車高を下げ空気抵抗を減らすことだった〔PEOPLE: MICHEL TETU 〕。ドライバー背後の燃料タンクはコクピットサイドにまで張り出しており、張り出した部分はステアリングホイールの辺りまで前方に伸びていた。これにより、通常のタンクを持つマシンよりも全高は低く抑えられた。しかし、燃料消費によって重量が大きく変化する燃料タンクをエンジン後方に搭載したことで、レース中にハンドリングが変化してしまい目論見通りとはならなかった〔『F1グランプリ特集 1988年6月号』 p.74 CBSソニー出版〕。 また、当時のF1としては斬新なパワーステアリングを装備していた。しかし当時の装置は大きく重く、これもシャシバランスの悪さの一因となったことから、ヨハンソン車では早々にパワステは取り外された〔『Racing On』 1988年5月号 ニューズ出版〕。 意欲的な設計ではあったが成績は大きく低迷し、予選不通過もしばしばであった。開幕当初はレギュレーションで定められた最低重量を30kg程度上回っていたと見られる〔が、シーズン中には軽量化が進められ、第11戦のベルギーGPにはエンジン背後の燃料タンクを取り外した予選用シャシーも導入された〔『F1グランプリ年鑑〈1988‐89〉』p.137〕が、大きな効果はなかった。 JS31のあまりの不振に、第3戦モナコGP終了後、前年モデルのJS29をフットボックスレギュレーションに合わせて改造したマシンにジャッドエンジンを搭載してテストを行った。このテストでJS29とJS31はほとんど変わらないタイムを記録したが、チームはJS31の使用を継続する決定を下した〔『GPX 1988年メキシコグランプリ号』 p.29 山海堂〕。 結局このシーズンはノーポイントに終わり、設計者のミッシェル・テツは、不振の責任を取るかたちでこの年限りでリジェを去ることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リジェ・JS31」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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