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リスボンの聖アントニオ : ウィキペディア日本語版 | パドヴァのアントニオ
聖パドヴァのアントニオ(イタリア語:Sant'Antonio di Padova、ポルトガル語:Santo António de Lisboa、1195年 - 1231年6月13日)は、カトリック教会の聖人。教会博士の一人。本名はフェルナンド・マルティンス・デ・ブリャォン(Fernando Martins de Bulhão)といい、リスボンで貴族の子として生まれた。そのため、リスボンのアントニオとも呼ばれる。アッシジのフランチェスコに共感し、彼の創設したフランシスコ会に入会。イタリアや南フランスといった地域を巡り、精力的に活動するも、パドヴァ近郊で病没した。未だ30代半ばであった。説法に優れ、生前から民衆にも大変人気のある人物であったという。彼の絵画や肖像では、幼子のキリストを抱き、本とユリの花、パンがともに描かれている。祝日は6月13日。パドヴァ、ポルトガル、ブラジルの守護聖人。 == 関連項目 ==
* サンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂 * サント・アントニオ・デ・リシュボア教会
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パドヴァのアントニオ」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Anthony of Padua 」があります。
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