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リズンスター () はアメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および種牡馬。1988年のアメリカ二冠馬で、同年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬を受賞した。 == 経歴 == アーサー・ハンコックに生産された馬の一頭で、父は「ビッグ・レッド」ことセクレタリアト、母はパッカーアップステークスなど9勝を挙げたリボンである。2歳のときにコールダー競馬場のトレーニングセールで売りに出され、ルイジアナ出身のルーニー・ラマルクが調教師ルイ・ラッセルと共同で購入した。 リズンスターはラッセルの厩舎に預けられ、1987年9月24日のルイジアナダウンズ競馬場でデビューし、その初戦を勝利で飾った。この年はこのほかに2戦して1勝している。明け3歳、初戦の一般戦を10馬身差で圧勝したのち、ルイジアナダービー、レキシントンステークスといったプレップレースを勝って本番のケンタッキーダービーに向かった。 本番のケンタッキーダービーでは、サンタアニタダービーを7馬身半差で優勝した牝馬ウイニングカラーズ、およびデビューから無敗の7連勝で挑んできたプライヴェートタームズの2頭が1番人気タイに推された。この他フォーティナイナーやブライアンズタイムなどの強豪が顔を並べるなか、リズンスターは4番人気に支持された。レース中盤、リズンスターはバックストレッチにおいて外を走り続けたためコーナーで大きなロスを蒙り、最後の直線で猛追するも、前の2頭を捉えきれずに約5馬身差の3着に敗れた。 しかし2週間後のプリークネスステークスにおいて、リズンスターは前走とほぼ同じ対戦相手を前にしながらも、それらを押さえつけて優勝した。これによってベルモントステークスの最有力候補に推されるようになり、本戦ではブライアンズタイムと並んで1番人気に据えられた。 フォーティナイナーなどが出走しなかったこともあって、その年のベルモントステークスは6頭立てで行われた。リズンスターはこの競走で、まるで父が同競走で行ったような圧倒的な激走を見せつけ、2着キングポストに約14馬身もの大差をつけて優勝した。このとき記録した2分26秒4のタイムは、12ハロン(約2416メートル)で行われた同競走の記録としては、父セクレタリアトが記録したものを除けば当時最速のものであった。 この激走が祟ったか、リズンスターは怪我によりベルモントステークスを最後に引退に追い込まれた。しかしこの二冠は大いに評価され、同年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬部門に選出された。この選出は父セクレタリアト・祖父ボールドルーラーからの3世代連続受賞でもあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リズンスター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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