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リタ・グランデ : ウィキペディア日本語版
リタ・グランデ

リタ・グランデRita Grande, 1975年3月23日 - )は、イタリアナポリ出身の元女子プロテニス選手。グランデは2004年全豪オープンの混合ダブルスでベスト4に入り、すべての4大大会で女子シングルスの4回戦に進出した実績を持つ。自己最高ランキングはシングルス24位、ダブルス26位。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス5勝を挙げた。
== 来歴 ==
グランデは1994年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップイタリア代表選手になり、1995年全米オープン4大大会本戦に初出場した。初めて予選3試合を勝ち抜いたグランデは、1回戦でイスラエルアンナ・スマシュノワを破り、2回戦で第1シードのシュテフィ・グラフに挑戦した。1996年全米オープンで初めての4回戦進出がある。全米オープン4回戦進出の後、グランデは日本の「ニチレイ・レディース」のダブルスでキンバリー・ポーアメリカ)と組んでベスト4入りしたが、その準々決勝で伊達公子&杉山愛組を 7-5, 0-6, 6-2 で破っている。グランデは1998年の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」でもシングルスのベスト8がある。
彼女のテニス経歴は2001年から大きく開花し始め、この年に女子ツアーでシングルス年間2勝を挙げ、4大大会でも全豪オープン全仏オープンの2大会連続で4回戦進出を果たした。全豪オープンの4回戦では、グランデは第1シードのマルチナ・ヒンギスに 0-6, 3-6 で敗れた。2001年全仏オープンでは3人のイタリア人選手が女子シングルスの4回戦に勝ち残り、グランデとシルビア・ファリナ・エリアフランチェスカ・スキアボーネが勝ち進んだが、これはイタリアのテニス界を通じて史上初の偉業だった。グランデは4回戦でペトラ・マンデュラハンガリー)に敗退している。2002年全豪オープンで2年連続の4回戦進出を決めたが、ここではジェニファー・カプリアティに 3-6, 6-7 で敗れた。
2004年全豪オープンで、リタ・グランデはマルティン・ロドリゲスアルゼンチン)と混合ダブルスのペアを組み、初めて準決勝に勝ち進んだ。グランデとロドリゲスは、準決勝でネナド・ジモニッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)&エレーナ・ボビナロシア)組に 3-6, 6-7 のストレートで敗れ、決勝進出を逃した。同年の2004年ウィンブルドンで、グランデは29歳にして初めて女子シングルス4回戦に勝ち進む。彼女はそれまでウィンブルドンは2回戦止まりの成績だったが、ついにすべての4大大会で女子シングルスのベスト16入りを決めた。そこでは第9シードのパオラ・スアレスに 6-4, 0-6, 2-6 の逆転で敗れ、ベスト8には手が届かなかった。
グランデは1996年アトランタ五輪2000年シドニー五輪で2度、オリンピックのイタリア代表選手としても出場経験がある。
しかし2005年、グランデは右肘の故障のため出場試合数が減り、全米オープン1回戦敗退が最後の4大大会出場になる。同年10月、グランデは地元イタリア・ビエラ大会の1回戦敗退を最後に30歳で現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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