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リチャード・ウィドマーク(Richard Widmark、1914年12月26日 - 2008年3月24日)は、アメリカ合衆国の映画俳優。 == 生涯 == 1914年12月26日、ミネソタ州に生まれる。父親はスウェーデン系、母親はイングランドおよびスコットランド系〔'Juvenile' in Gangster Role Reaches Apex of Terror 〕。レイク・フォレスト大学で法律を学ぶ傍ら、演劇に熱中。卒業後しばらく母校で講師を務めたが、1938年俳優を志してニューヨークに出る。ラジオの仕事を経てブロードウェイの舞台に立ち、戦後の1947年、ヘンリー・ハサウェイ監督『死の接吻』のオーディションに合格。殺し屋トミー・ユードー役で、いきなりアカデミー助演男優賞候補にノミネートされる。灰色の目としゃがれた声、冷やかな笑顔をトレードマークに、主にギャング映画での非情な殺し屋、戦争映画での冷徹で人望のない指揮官役などで持ち味を発揮。 敵役として大いに売り出したが、やがて悪役イメージからの脱却をはかり(愛する娘が学校などでイジめられない為に、と言われている)、やがて善玉・悪玉の両方を演じられる貴重な性格俳優としての地位を確立する。犯罪スリラー、戦争映画の他に、西部劇も得意としており、『ゴーストタウンの決斗』、『ワーロック』、『アラモ』、『シャイアン』といった名作・大作の西部劇に準主役として多数出演している。 1957年独立プロダクション「ピース・プロ」を設立。『祖国への反逆!・第5捕虜収容所』(テレビ映画)、『秘密諜報機関』などを製作し、主演も務める。1961年にはスタンリー・クレイマー監督のオールスター大作『ニュールンベルグ裁判』でアメリカ側検事役を演じ、自他ともに認める代表作となった。また、1968年に主演してヒットした映画『刑事マディガン』では、1972~73年に「NBCウェンズデー・ミステリー・ムービー」枠で放映されたテレビ版でも主演を務めた。 私生活では1942年に脚本家のジーン・ヘイズルウッドと結婚。一女があり、娘のアン・ヒース・ウィドマークは大リーグの名投手だったサンディ・コーファックスと結婚している。ジーンと死別(1997年)後の1999年に、ヘンリー・フォンダの元夫人であったスーザン・ブランチャードと再婚し話題になった。また、政治的にはリベラルな人物として知られた。 2008年3月24日、コネチカット州の自宅で亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リチャード・ウィドマーク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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