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リチャード・ポール・フランク・キングソン(Richard Paul Frank Kingson, 1978年6月13日 - )は、ガーナ出身の同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 トルコ国籍も所持していることから、トルコ名で「ファルク・ギュルソイ(Faruk Gürsoy)」とも知られ〔"Faruk Gürsoy" 〕身分証明書の不備が原因でキングストン(kingston)と頻繁に名前を間違われている〔"Birmingham complete Kingson deal" 〕。また、同じくガーナ代表でプレーするを弟に持ち〔"So, who is Wigan goalkeeper Richard Kingson?" 〕、こちらの姓であるキングストンは、ガーナのパスポート当局による綴りのミスが原因〔"The 'nearly' Scots at the World Cup" 〕〔"2010 FIFA World Cup™ - Laryea KINGSTON - FIFA.com" 〕。 == 経歴 == === クラブ === キングソンは、1996年に母国を離れトルコへと渡り、6つの異なるクラブに所属。また、のちにトルコ市民権を取得し、ガラタサライSKのクラブ関係者ファルク・スレン (Faruk Süren) とエルグン・ギュルソイ (Ergun Gürsoy) から名前を取り、トルコ名をファルク・ギュルソイとした〔"Afrika Uluslar Kupası finalinde bir Türk" 〕。トルコでの最初のクラブは、1996年12月に契約を結んだ強豪ガラタサライだったが、この時は出場することは叶わずに終わった。しかし、2004-05シーズンに同チームに復帰するとサニジャ・ボル・エラズースポル戦で初出場を果たした〔"Galatasaray - Elazığspor maç raporu" 〕。翌シーズンにアンカラスポルに完全移籍をしたが、2005年9月の戦後のドーピング検査にひっかかり、UEFAから約半年の出場停止を言い渡された〔"Richard Kingston banned for failing drugs test" 〕。 スウェーデンのハンマルビーIFへ3ヶ月のローンで加入した〔"Ghana's Kingson signs in Sweden" 〕際のプレーがオールボーBK, マッカビ・テルアビブFC, バーミンガム・シティFCとヨーロッパのクラブから関心を寄せられ〔"Kingston set for Hammarby exit" 〕、2007年7月4日にバーミンガムへ契約期間2年+オプション2年で移籍した〔。同年8月28日のフットボールリーグカップ第3回戦ヘレフォード・ユナイテッドFC戦で移籍後初出場をし、代理監督が唯一指揮したポーツマスFC戦(0-2)でリーグ戦初出場を飾る〔"Birmingham 0-2 Portsmouth " 〕も、出場はこの1試合のみに終わった。シーズン終了後、バーミンガムの共同所有者デヴィッド・サリヴァン (David Sullivan)から、この降格は前監督スティーヴ・ブルースが選定して契約した"ゴミの山"のせいだと非難され〔"Sullivan slams fans and Bruce buys" 〕、これに対しキングソンは失望と怒りを感じ、"彼のような立場にいる者なら、もう少し分別をもって話すべきだ"と語った〔"Richard Kingson in a rage over Blues 'slur'" 〕。まだ契約は1年を残していたものの、双方合意により契約解除した〔"Keeper Kingson leaves Birmingham" 〕。 2008年9月16日に前クラブで指導を受けたスティーヴ・ブルース監督率いるウィガン・アスレティックFCへ加入〔"Latics seal Kingson deal" 〕し、ガーナ代表で着用している背番号22を与えられ、FAカップ第3回戦のトッテナム・ホットスパーFC戦(1-3)で移籍後初出場をした。2009年5月9日のアウェー ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦で試合開始10分後に負傷したクリス・カークランドに代わりリーグ戦初出場をすると、のPKを一旦止めるも、その跳ね返りを同選手に決められ、1-3で敗れた〔"West Brom 3-1 Wigan" 〕。2009-10シーズン終了に伴い契約満了となったため放出された〔"Wigan sign keeper Ali Al Habsi on loan" 〕。 2010年9月に昇格組のブラックプールFCへ加入〔"Kingson has point to prove after joining Blackpool" 〕し、11月10日のアストン・ヴィラFC戦(2-3)で移籍後初出場を果たした。その後、正GKのが負傷したことで暫くゴールマウスを守っていた〔"Richard Kingson eyes Blackpool number one spot" 〕が、終盤戦に復帰したギルクスにポジションを明け渡してしまい、さらに同シーズン終了後にクラブは降格し、キングソンは同僚数人と共に放出された〔"Charlie Adam's Blackpool future in doubt despite deal" 〕。ブラックプール退団後は、エル=ハッジ・ディウフと共に古巣ウィガンの訓練に参加している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リチャード・キングソン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Richard Kingson 」があります。 スポンサード リンク
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