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リチャード・ボナ
リチャード・ボナ(Richard Bona 1967年10月28日-)は、西アフリカカメルーン出身のジャズ・フュージョンベーシスト。その才能から「ジャコ・パストリアスの再来」と言われている。 == バイオグラフィ == カメルーン東部にある未開の土地、ミンタ村に生まれる。音楽一家の元で育ち、幼い頃からバラフォン(アフリカの木琴)等の楽器に親しみ、5歳になると家族と共に村の教会で歌い演奏した。カメルーン第二の都市ドゥアラに転居するとジャズ・クラブで演奏するようになった。主楽器はギターであったが、そこでフュージョンミュージシャンでベーシスト、ジャコ・パストリアスのアルバム''Jaco Pastorius''(ジャコ・パストリアスの肖像)に出会い、ギターからベースに持ち替えた。 1990年に父親が逝去すると、パリに渡り音楽教育も受けるようになり、地元のジャズ・ミュージシャンと活動するようになる。1995年にはジョー・ザヴィヌルと共演するようになり、ニューヨークに拠点を移す。ザヴィヌルの''My People''の収録に参加しワールド・ツアーにも同行、この折に初来日した。さらに、ハリー・ベラフォンテのバンド・リーダー及び、音楽監督としても活動の幅を広げる。1999年に初リーダー作となるアルバム''"Scenes from My Life''をソニー・ミュージックより発表。セッションミュージシャンとしても人気を高めてきて、ランディ・ブレッカー等と共演をした。 2000年はデイヴィッド・サンボーンやジョー・サンプルらと「S.S.B.B.バンド」を組みワールド・ツアー。2001年にはNHKテレビ「みんなのうた」用にギタリストの中村善郎と共作、「風がくれたメロディ」を発表。この作品でボナは日本語詞に挑戦した。同年にセカンド・アルバム''Reverence''を発表。この頃にはポスト・ジャコ・パストリアスといわれるほど、人気を高めていた。パット・メセニーからも声をかけられ(マルチに楽器を演奏出来る知り合いがいないか聞かれた際に「自分がいる」と言ってメセニーを驚かせる)、年間契約の元、パット・メセニー・グループに加わり、''Speaking Of Now''に参加し世界ツアーにも同行。2003年にヴァーヴ・レコードに移籍、''Munia: The Tale''を発表、同年に渡辺香津美、オラシオ・エルナンデスとトリオを組み''Mo'Bop''を発表、翌年に''Mo'Bop II''を発表した。マイク・スターンや渡辺貞夫のツアーでも度々来日している。2005年発表の''Tiki''(EmArcyより)が最新作で、ニューヨーク、ブラジル、パリの三都市で録音した。『ティキ』はドゥアラ語で「宝物」を意味している。生地のミンタ村の様子や私生活を追ったドキュメンタリーDVD''African Tail''も同時にリリースされた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リチャード・ボナ」の詳細全文を読む
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