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リッキー・ヘンリー・ヘンダーソン(Rickey Henley Henderson, 1958年12月25日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴの元プロ野球選手(外野手)。左投右打。 他の追随をまったく寄せ付けない盗塁数、先頭打者としての出塁率の高さなどは評価が高く、しばしば「メジャーリーグ史上最高のリードオフマン」「盗塁男(Man of Steal)」と呼ばれる。 == 経歴 == 1958年のクリスマスにイリノイ州シカゴで病院へ行く途中の車の後部座席で生まれ、ミュージシャンのリッキー・ネルソンにちなんでリッキー・ネルソン・ヘンリーと名付けられた。2歳の時に父が家を離れ、7歳の時に残された家族とカリフォルニア州オークランドへ引越した。12歳の時に父が自動車事故で死亡し、母はポール・ヘンダーソンという男性と再婚。名前がリッキー・ヘンリー・ヘンダーソンとなった。 左投げだったものの右打ちで練習し「左投げ右打ち」という珍しい選手となった(メジャー通算4000打数以上の選手では、リッキー・ヘンダーソン以外に2人しかいない)。 高校時代には野球以外にバスケットボールやアメリカンフットボールもプレーし、特にアメフトではRBとして活躍し全米代表にも選ばれた。アメフトで24もの奨学金の申し出を受けたが全て断り、にオークランド・アスレチックスからドラフト4巡目指名を受け入団。3年間マイナーリーグでプレーし、にはマイナーリーグタイ記録の1試合7盗塁を記録。そして6月24日に1番レフトでメジャーデビューを果たし、メジャー初打席で二塁打。第二打席でシングルヒットを打ち、初盗塁を決めた。ルーキーイヤーはリーグ7位の33盗塁を記録した。翌シーズン、アメリカンリーグ新記録となる100盗塁で盗塁王を獲得して以降、からにかけて7年連続盗塁王に輝いた。特にには現在もMLB記録として残る130盗塁という大記録を達成。5月1日にそれまでのMLBの通算盗塁記録であったルー・ブロックの938盗塁を破る939盗塁を記録。に福本豊の盗塁世界記録を破る1066盗塁を記録。MLB歴代1位の通算1406盗塁を記録した。 1979年からまでの25シーズンでMLB9球団でプレーし、は独立リーグアトランティックリーグのニューアーク・ベアーズで、は独立リーグゴールデンベースボールリーグのサンディエゴ・サーフドーグスでプレーした。 からメッツの特別インストラクターを務め、7月13日にメッツの一塁コーチをしていたハワード・ジョンソンの打撃コーチ転身に伴い、一塁コーチとなった。 2007年5月にロジャー・クレメンスの復帰宣言を聞いてメジャー復帰に向けて動き出すことを宣言したこともあるが、復帰には至っていない。そのままメジャー復帰をすることなく、引退後5年が経過したに野球殿堂入り資格を得ると、539票中511票(94.8%)の得票を得て初年度での殿堂入りを果たした。 7月9日、オークランド・アスレチックス時代の背番号『24』が永久欠番となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リッキー・ヘンダーソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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