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リッチフィールド石油(チッリフィールドせきゆ)、ないし、リッチフィールド・オイル・コーポレーション (Richfield Oil Corporation) は、かつて1905年から1966年まで存在していたカリフォルニア州を拠点とするアメリカ合衆国の石油会社。1966年にと合併し、アトランティック・リッチフィールド社()となった。 == 歴史 == リッチフィールド石油は、1905年に設立され、1917年には最初の給油所をロサンゼルスに開設した。急成長を遂げたリッチフィールド石油だったが、世界恐慌のあおりを受け、1931年には管財人の管理下に置かれた。 このとき、シティーズ・サービス社(Cities Service Company:後のシットゴー)が、リッチフィールドの4株を自社株1株と交換すると市場で呼びかけ、リッチフィールドの株式の過半数を取得した。 1932年には、コンソリデーティッド石油(Consolidated Oil Corporation:1943年にと改称)が、リッチフィールド石油の買収を持ちかけた。この交渉はうまく行かなかったが、コンソリデーティッド石油の社長は、その後もリッチフィールドの買収に意欲を見せ続け、スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(Standard Oil of California:後のシェブロンによる買収の試みから、リッチフィールドを守り続けた。 1935年、コンソリデーティッド石油は、リッチフィールドの合衆国東部の事業を買収した。この動きによってスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニアはリッチフィールドへの関心を失った。東部の給油所は、その後シンクレアのブランドに変わった。 リッチフィールド石油は、1936年に、コンソリデーティッド石油傘下のリオ・グランデ (Rio Grande) とシティーズ・サービスの合意に基づいて、リッチフィールドとリオ・グランデが合併することとなり、ようやく管財人管理を脱した。 1942年2月23日、カリフォルニア州サンタバーバラ西郊のが日本軍に攻撃された際には、リッチフィールドのタンク2基が砲撃された。大日本帝国海軍の伊号第十七潜水艦によるこの砲撃は、米英戦争(1812年 - 1814年)以降では初めての、アメリカ合衆国本土への攻撃であった。 リッチフィールド石油は、1955年から1970年にかけて、ディズニーランドのオートピアのスポンサーであった。 1966年、アトランティック精油 (Atlantic Refining) と合併し、アトランティック・リッチフィールド社()となった。その後、ARCOは、2000年にBPに買収された 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リッチフィールド石油」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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