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リトアニアの歴史(リトアニアのれきし)では、リトアニアの歴史を述べる。また同時にリトアニア人の歴史も記述する。 「リトアニア」という語は、1009年に「Lituae」(ラテン語の属格、主格は「Litua」)と記載されたのが最も古いものである〔Baranauskas, 2009.; Edvardas Gudavičius. Lietuvos istorija. Nuo seniausių laikų iki 1569 metų, Vilnius, 1999, p.28. ISBN 5-420-00723-1〕。13世紀にはリトアニア大公国が建てられ、その後、リトアニアは周辺諸国を征服、15世紀には、リトアニア大公国はヨーロッパで最大の領土をもつ国となった〔 R. Bideleux. A History of Eastern Europe: Crisis and Change. Routledge, 1998. p.122〕。16世紀にはルブリン合同によりポーランド王国と合同、ポーランド・リトアニア共和国となった。その後、18世紀末のポーランド分割によりリトアニアはロシア帝国の支配下におかれることとなる。第一次世界大戦後の1918年にリトアニアは共和国として独立。しかし第二次世界大戦中にソビエト連邦やナチス・ドイツからの侵攻を受け、リトアニア・ソビエト社会主義共和国としてソ連に編入される。1990年代に入るとリトアニアは独立を回復、2004年には欧州連合にも加盟した。 == リトアニア大公国 == リトアニア人は、バルト人(バルト語派)の一派で、ドイツ騎士団を初めとする北方十字軍との抗争の中で団結して行った。 13世紀にキリスト教化を目論むドイツ騎士団に一時征服されたが、1236年の戦いで彼らの進出を食い止め、ミンダウカスのもと最初の統一を成し遂げリトアニア大公国を成立させた。 14世紀、ゲディミナスは東欧に勢力を伸ばし、現在のベラルーシ、ウクライナまで拡大していった。また、ヴィリニュスを建設し首都とした。 その後ドイツ騎士団との抗争は続き、リトアニア大公国が異教徒の国でありながら伝統的にリトアニア大公国と関係が良かったキリスト教国家で、ポメラニア平定のさいにドイツ騎士団が起こした金銭トラブルでドイツ騎士団と揉めていたポーランド王国へ接近して行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リトアニアの歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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