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リヒェンツァ・フォン・ノルトハイム : ウィキペディア日本語版
リヒェンツァ・フォン・ノルトハイム

リヒェンツァ・フォン・ノルトハイム(Richenza von Northeim、1087年から1089年頃 - 1141年6月10日)は、ノルトハイム伯爵家の出身で神聖ローマ皇帝ロタール3世妃。ノルトハイム伯ハインリヒ・デア・フェテ(バイエルン公オットー・フォン・ノルトハイムの息子、1101年没)とブルノン家ゲルトルート・フォン・ブラウンシュヴァイクの娘。
1100年頃にザクセン公で後に皇帝となるロタール・フォン・ズップリンゲンブルクに嫁いだ。1115年に生まれた彼らの娘ゲルトルートはバイエルン公ハインリヒ10世(傲岸公、または尊大公ともいう)に嫁ぎ、これによりブルノン家とノルトハイム伯爵家の所領はヴェルフ家に移った。しかし、ロタール3世の死後、ハインリヒ10世はコンラート3世から所領を没収され、代わってアスカーニエン家アルブレヒト熊公がザクセン公に任命された。アルブレヒト熊公との戦いで、リヒェンツァは孫のハインリヒ獅子公のザクセンにおける権利を主張した。
1141年没。1137年に亡くなった夫や、婿のハインリヒ傲岸公らと共にケーニヒスルターのカイザードームに葬られた。
== 外部リンク ==
(ドイツ語版の外部リンクとして挙げられているものであり、日本語版の作成に直接参照はしておりません)
* genealogie-mittelalter.de



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リヒェンツァ・フォン・ノルトハイム」の詳細全文を読む



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