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リヒャルト・シルマン : ウィキペディア日本語版
リヒャルト・シルマン

リヒャルト・シルマン(, 1874年5月15日 - 1961年12月14日)は、ドイツ小学校教師で、ユースホステルの創設者。
== 生い立ち ==
東プロイセンの)のグルーネンフェルト(現在のポーランド・ヴァルミア=マズールィ県)で祖父・父ともに教師の家庭に生まれた。17歳でケーニヒスベルク近くの師範学校に在学中、地理の教師が徒歩旅行した時の経験をもとに進めた授業を受けて触発され、エルツ山地までの徒歩修学旅行を体験した。この徒歩旅行ののち学生などによるデモが起こり、シルマンはデモを主導したとされ放校処分となる。
その後、東プロイセンのザムラントの地主貴族)の家庭教師になり、10人の子供の面倒をみることになり、学習計画の作成も全くの彼の自由にまかされる。教員資格の勉強をひたむきに行い、教員資格認定試験に合格した。
1895年5月、ケーニヒスヘーエ(現在のポーランド・ヴァルミア=マズールィ県)にあるポーランド人教会学校の教師に採用された。プロイセンの一部ながら児童の多くはポーランド語などスラブ語を使用し、60人中ドイツ語を話すのはわずか4人でほとんど言葉が通じず、コミュニケーションを取りやすくするため、野外に出て、児童と一緒に遊びをうたい、野外でドイツ語や算数など教科の授業も行った。この時の体験が、シルマンの基本的な考えとなり、ワンデルンシューレ(移動教室)を思いつく。そして、このワンデルンシューレ(移動教室)からのちにユースホステル運動を発想する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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