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リンディ・ラナ・イングランド(Lynndie Rana England、1982年11月8日 - )は、アメリカ陸軍の元予備役軍人。イラク戦争の発生に伴い、第372憲兵中隊に配属された。イラク占領任務中に発生したバグダッドのアブグレイブ刑務所におけるイラク人捕虜虐待に関連して、アメリカ陸軍の軍事裁判において有罪判決を受けた軍人のうちの1人。 == 経緯 == 2003年イラク在留中、イングランドは第372憲兵中隊で技術兵として従軍。この際、他の軍人とともにイラク人捕虜に性的・肉体的・精神的虐待を負わせた事を、後の軍法会議にて認めている。 2005年1月、捕虜虐待および暴行の罪で高等軍法会議に起訴された。正式な起訴状は『拷問』という言葉を記載しなかったものの、多くの関係者は彼女の行為を『拷問』と述べている。2005年4月30日、イングランドは虐待罪の罪状を認めた。〔検察が幾つかの公訴提起を取り下げる代わりに、被告人の黙秘権を奪うという制度を司法取引と言う。司法取引が成立し、判事(軍法会議の場合は、軍事裁判官)がそれを認めれば、その罪状で審議なしに結審する。〕司法取引が連邦判事によって受け入れられた場合、最高刑は16年から11年まで減罪されたのだが、成立しなかった。これが成立していれば、彼女は捕虜虐待の4つの訴因、共謀の2つの訴因、および職務怠慢の1つの訴因を有罪答弁することと引き換えに、検察は他の2つの告訴(わいせつ行為と法定指令への不遵守)を不起訴とするはずだった。 2005年5月4日、イングランド上等兵はその当時自身の行為が違法との認識がなかったことを示唆した、チャールズ・グレイナー伍長(事件当時。二等兵に降格処分)からの新たな証言により、軍事裁判官であるジェイムズ・ペール大佐はイングランドの司法取引を拒否した。この証言が、2005年5月2日に行われたイングランドの有罪答弁〔司法取引における有罪答弁とは、被告がその罪状を認める際に行う答弁の事。この後に、司法取引が判事によって認否される。イングランドの場合、有罪答弁を行ったが、軍事裁判官は司法取引を認めず、再審となった。〕における自身の供述と相反したためであった。2005年9月26日、共謀の1つの訴因、捕虜虐待の4つの訴因、およびわいせつ行為の1つの訴因の罪により有罪判決を受けた。もう一つの共謀の訴因は問われなかった。禁固3年と不名誉除隊が宣告された。 2005年9月27日、イングランドが犯した捕虜への暴行や虐待に対する謝罪ではないが、彼女は写真への登場に対して謝罪した。 判決確定後は刑務所(サンディエゴのミラマー海兵隊航空基地内統合営倉)に収容され、厨房で働いていた。2008年9月28日、満期出所し除隊。2009年7月には自叙伝「Tortured: Lynndie England, Abu Ghraib and the Photographs that Shocked the World」(拷問者だった ―リンディ・イングランド、アブグレイブと世界を震撼させた写真―)を出版。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リンディ・イングランド」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lynndie England 」があります。 スポンサード リンク
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