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リンドホシは日本の競走馬。 == 経歴 == 1985年に北海道浦河の小倉牧場で生産された。デルマークラブに購入され、美浦の佐藤林次郎厩舎に入厩となった。 1987年7月に新潟競馬場の新馬競走(芝1000メートル)で赤羽秀男騎手を鞍上に競走馬としてデビューし、6番人気で3着に終わる。少し間が空いて8月に同じ新潟で出走し、初勝利を挙げた。また間が空いて、12月に1回出走して2着となり、この年は終わった。 年が明けて1988年は、3月の中京のふきのとう特別から始動し、3着。続く中京のはなのき賞で2勝目を挙げ、オープンに昇級。続く菖蒲特別、重賞初挑戦となったニュージーランドトロフィー4歳ステークス、ラジオたんぱ賞と3戦連続で2着と好走し、オープンでも十分勝負になることを証明した。 秋初戦の富士ステークス(当時はオープン特別競走)は10着、12月のディセンバーステークスに出走するも8着で終わり、以降4戦して2着2回と勝ちきれずにいたが、1989年4月の京王杯スプリングカップを7番人気で制し、重賞初勝利を挙げた。手綱を取っていたのは富士ステークスから騎乗している的場均騎手であった。続く安田記念でG1競走初挑戦となり、2番人気に押されたものの10着に終わった。 以降はおもに短距離〜中距離のレースに出走し、エプソムカップ(1989年)と東京新聞杯(1990年)で2着など、大崩れなく走り、1990年6月のパラダイスステークス(オープン特別競走)で久しぶりの勝利を挙げた。それ以後は時々好走するものの、勝つことはできなかった。慢性的な裂蹄(蹄の一部が裂ける疾病)に悩まされながら1992年のスプリンターズステークスまでレースに出走し続け、同競走を最後に引退した。競走成績は47戦4勝、2着9回だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リンドホシ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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