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ルキウス・アエミリウス・パウルス : ウィキペディア日本語版 | ルキウス・アエミリウス・パウルス ルキウス・アエミリウス・パウッルス (, ? - 紀元前216年8月2日) は、共和政ローマの政治家・将軍。紀元前219年と紀元前216年の二度、執政官の職に就いた。ルキウス・アエミリウス・パウッルス・マケドニクスの父親にあたる。 パウッルスは紀元前219年にマルクス・リウィウス・サリナトルと共に執政官に選出されたが、その年の第二次イリュリア戦争において、ファロスのデメトリウスに敗北した。第二次ポエニ戦争中の紀元前216年、パウッルスはウァッロとともに二度目の執政官に選出された。同年8月2日のカンナエの戦いで、ハンニバル率いるカルタゴ軍に大敗し、パウッルスは戦死した。 パウッルスの娘、アエミリア・テルティア(アエミリア・パウッラ)はスキピオ・アフリカヌスの妻である。 カディス青銅板碑文には次のように記している。
category:紀元前216年没
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルキウス・アエミリウス・パウルス」の詳細全文を読む
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