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ルサ1世[るさ1せい]
ルサ1世(Rusa I)は、ウラルトゥの王〔『アジア歴史事典』第1巻(平凡社、1984年)の「ウラルトゥ王国」項目(執筆者:杉勇)にはルサシュ(Rusaš)と表記されている。〕。在位:紀元前735年頃‐紀元前714年。アッシリア帝国による攻勢にさらされた王国の維持に努めたが、サルゴン2世に敗れて自殺した。 == 来歴 ==
=== 王国維持の努力 === ウラルトゥ王サルドゥリ2世の息子。父は死の直前にアッシリア王ティグラト・ピレセル3世に大敗し、王国は危機にさらされていた。この敗北はルサの曽祖父イシュプイニがハルディ神をウラルトゥの主神にして以来初めてのことであり、ウラルトゥ王の権威の源である「ハルディ神の武器」が「アッシュル神の武器」に敗れたことは、王国の人心を乱れさせた。ユーフラテス河以西の領土は失われ、属国にはこれを好機にアッシリアに寝返ったり独立する者が相次いだ。 このような状況の中、ルサは武力を用いることなく自ら領内を巡幸してウラルトゥ王の権威回復に努めた。このことは彼がその碑文に「二頭立ての戦車と自らの手で、王国を取り戻した」と記したことから窺える。ルサはムサシルを中心としたハルディ神崇拝を重視し、これを権威付けに利用した。 ティグラト・ピレセル3世がアッシリア国内の内政に忙殺され、ウラルトゥへの攻撃の手を緩めたことも幸いした。さらに紀元前727年にその跡を継いだシャルマネセル5世も西方のフェニキアやイスラエルに矛先を転じたため、ルサは北方のトランスコーカサス征服を行い、またアッシリアとの国境地帯を回復することが出来た。さらに首都トゥシュパ(ヴァン)の近くに新都ルサヒニリを建設し、また北辺のセヴァン湖周辺に二つの砦を建設した。トゥシュパやルサヒニリの飲料水や周辺の灌漑用水を確保するため、ルサは貯水池を作って地中に水道管を敷設した。このことはヴァンの近くで1891年に発見されたケシシュ・ギョル碑文に記されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルサ1世」の詳細全文を読む
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