翻訳と辞書
Words near each other
・ ルチアノ・サルチェ
・ ルチアノ・ベリオ
・ ルチアン・スンマルテアン
・ ルチア・クラウショヴァ
・ ルチア・バレリオ
・ ルチア・ボゼッティ
・ ルチア・ポップ
・ ルチア・モホリ
・ ルチア・モリコ
・ ルチアーノ
ルチアーノ・エンメル
・ ルチアーノ・サルチェ
・ ルチアーノ・ザウリ
・ ルチアーノ・スパレッティ
・ ルチアーノ・タヨーリ
・ ルチアーノ・テーシ (小惑星)
・ ルチアーノ・デ・セッコ
・ ルチアーノ・トボリ
・ ルチアーノ・トリスタイノ
・ ルチアーノ・トヴォリ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ルチアーノ・エンメル : ウィキペディア日本語版
ルチアーノ・エンメル

ルチアーノ・エンメルLuciano Emmer, 1918年1月19日 - 2009年9月16日''EMMER: IL CORDOGLIO DI SANDRO BONDI'' , stato-oggi.it, 2009年9月18日閲覧。〕)は、イタリア映画監督脚本家映画プロデューサーである。
== 人物・来歴 ==
1918年(大正7年)1月19日、イタリアのロンバルディア州ミラノに生まれる。
1941年(昭和16年)、初めてのドキュメンタリー短篇映画を監督する。
1947年(昭和22年)、ヴェネツィア国際映画祭で『ヴェスナ』が金獅子賞にノミネートされる。1949年(昭和24年)、『ラグーンの島』でナストロ・ダルジェント賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞する。1950年(昭和25年)、『八月の日曜日』でロカルノ国際映画祭特別賞を受賞する。1951年(昭和26年)、『失われた楽園』で第1回ベルリン国際映画祭で銅賞を受賞した。1952年(昭和27年)には、『ピクトゥーラ』でゴールデングローブ賞特別賞を受賞した。1956年(昭和31年)、『ピカソ この天才を見よ』で、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。
2003年(平成12年)には、『水…火』で、ヴェネツィア国際映画祭パジネッティ賞を受賞した。
2009年(平成21年)9月16日ローマ市内の病院で死去した〔〔''Addio a Emmer, cantore di Masolino'' , Satelios News, 2009年9月18日閲覧。〕。満91歳没。死去に際して、イタリアの文化財・文化活動省大臣のサンドロ・ボンディが哀悼の意を表した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルチアーノ・エンメル」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.