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『ルックルックこんにちは』は、日本テレビ系列局ほかで放送されたワイドショー。日本テレビでは1979年4月2日から2001年3月30日までの22年間にわたって放送された。 正式名称は『ワイドショー・ルックルックこんにちは』で、後期では『ルックLOOK』を通称タイトルとしていた。 == 番組の歩み == 同番組開始前の日本テレビ系列の朝のワイドショー番組は、1969年10月より放送が開始された『奥さまハプニングサロン』を皮切りに『朝のワイドショー ○○と90分(○○には司会者の名前が入る)』、『あなたのワイドショー』、『ミセス&ミセス』と目まぐるしく変遷、朝の時間帯の抜本的な改編は積年の課題となっていた。その中で1979年、それまでは子供向け番組の時間だった午前7時台に、全国の各ネット局と中継回線で繋げていきながら番組を進めてゆくという異色の情報番組として『ズームイン!!朝!』を投入したのに続き、司会にまだ20代後半だった沢田亜矢子を抜擢し、『ミセス&ミセス』で打ち出された「女性による、女性のための番組」という路線をさらに全面に押し出す形でスタートしたのが本番組であった。 曜日別コーナーは特色のあるコーナーが多かった。初期においては評論家の竹村健一による時事解説コーナー「竹村健一の世相講談」(1979年 - 1985年3月)や、レオタード姿のインストラクター・ジェニー中尾がエアロビクスをレクチャーする「アロービックダンシング」(1982年 - 1984年頃)などがあったが、コーナーは岸部シロー(現:岸部四郎)が司会に就任した後にまもなく終了した。 名物コーナーである水曜日の「ドキュメント・女ののど自慢」(司会:なべおさみ → 夏木ゆたか)、木曜日の「突撃・隣の晩ごはん」(リポーター:ヨネスケ、その後も『ザ!情報ツウ』→『NNN Newsリアルタイム』→『おもいッきりDON!1155』→『DON!』の中で放送されている)、『あなたのワイドショー』時代より続く金曜日の「テレビ三面記事」(『ウィークエンダー』を主婦向けの内容にした)、「涙のご対面」(『それは秘密です!!』の企画を受け継いだコーナー)。 また、開始時間が8:30開始となったことで、本番組の放送時間に関しても1978年3月までの『ミセス&ミセス』以来となるマストバイ局(開始当時のマストバイ局は日本テレビ・札幌テレビ・ミヤギテレビ・中京テレビ・読売テレビ・西日本放送・広島テレビ・福岡放送の8局)は同時ネットでなおかつフルネットでの放送、それ以外の非マストバイ局(日本テレビ系がメインのクロスネット局も含む)は時差ネットでなおかつ55分の短縮版での放送と、マストバイ局と非マストバイ局と放送時間が基本的に振り分けられ、本番組開始3か月後の1979年7月には静岡第一テレビ開局に伴い、静岡けんみんテレビ(現:静岡朝日テレビ、1979年6月までは日本テレビ系列とのクロスネット局)から放映権移行を受ける形で静岡県における放送が静岡けんみんテレビでの時差ネットから静岡第一テレビでの同時ネットに変更された。 本番組開始9か月後の1980年1月には、当時テレビ朝日系列とのクロスネット局だったテレビ岩手が、それまで放送していた『モーニングショー』を打ち切って、本番組の放送時間を時差ネットから同時ネットに変更した。テレビ岩手にとっては1979年10月の『アフタヌーンショー』(テレビ朝日)打ち切り並びに『お昼のワイドショー』ネット開始に次ぐテレビ朝日系ワイドショーから日本テレビ系ワイドショーへのネット切り替えとなった〔『モーニングショー』を1979年12月で打ち切って、本番組の同時ネットに切り替えた。なお、テレビ岩手は『2時のワイドショー』(読売テレビ製作)に関しては初回からネットしていたほか、1980年3月にANNを脱退、同年4月からNNSマストバイ局になっている。〕。このケースはテレビ朝日制作月-金曜朝のワイドショーをネットしていた非マストバイ局(日本テレビ系がメインのクロスネット局も含む)はもちろんのこと、テレビ朝日制作月-金曜朝のワイドショーをネットしていたTBS系列局を含めてテレビ朝日系新局開局に伴わずにテレビ朝日制作月-金曜朝のワイドショー自体を打ち切って本来の系列(クロスネット局に関してはメイン系列)の番組の同時ネットに切り替えた初のケースとなった。 1981年4月にはテレビ新潟開局に伴い新潟県における放送を開始し、同年10月には福島放送の開局に伴いマストバイ局となった福島中央テレビが時差ネットから同時ネットへ変更され、1982年4月にはくまもと県民テレビ開局に伴い、熊本県における放送がそれまでの熊本放送(TBS系列)での時差ネットからくまもと県民テレビでの同時ネットへ変更され、1983年4月にはそれまで香川県のみをエリアとしていた西日本放送の岡山・香川の第二次電波相互乗り入れに伴い岡山県における放送を開始し、この時点で本番組の同時ネット局は13局と増加していった。 1984年9月に沢田が降板、同年10月からの後任には岸部シロー(現:岸部四郎)が起用された〔司会候補には岸部と上岡龍太郎が挙がったが、上岡の「宇治は京都とは認めない」との発言が宇治出身のプロデューサーの怒りを買い最終的に岸部が選ばれた。〕。 1986年4月からは同時ネット局であるマストバイ局13局中、『朝の連続ドラマ』(読売テレビ製作)開始に伴い、西日本の一部NNSマストバイ局とそれ以外のNNSマストバイ局との放送時間が振り分けられた(後述)。 1989年10月には『モーニングショー』を山陰放送(TBS系列)と2局同時放送していた日本海テレビがANN脱退・NNSマストバイ局化に伴い、『モーニングショー』を打ち切って、本番組の放送時間を時差ネットから読売テレビとの同時ネットに変更した。 日本海テレビは、1972年9月の鳥取・島根の電波相互乗り入れ以降、『モーニングショー』の同時ネット並びにテレビ朝日系月-金曜正午枠時差ネットを山陰放送と2局同時放送していたため、当該時間帯の日本海テレビの実質的な裏番組は『小川宏ショー』→『おはよう!ナイスデイ』などの山陰中央テレビ(フジテレビ系列)の番組のみであるなど、長年問題となっていた。 1989年4月に鳥取県の地元紙日本海新聞がこの問題を取り上げたことから、これを受けて日本海テレビは同年10月にANNを脱退し、NNSマストバイ局化に踏み切った〔日本海テレビは1972年9月までの放送エリアは鳥取県のみ。鳥取・島根の電波相互乗り入れ後も山陰放送と2局同時放送していたテレビ朝日の『モーニングショー』を1989年9月で打ち切って、1989年10月より読売テレビと同一の編成に切り替えると同時に、同じく山陰放送と2局同時放送していた14:00から時差ネットしていたテレビ朝日系月-金曜正午枠も同時に打ち切って『2時のワイドショー』(読売テレビ製作)のネットを開始した。なお、『モーニングショー』並びにテレビ朝日系月-金曜正午枠は、1989年10月から山陰放送に放送局が一本化された。〕。また、テレビ朝日系新局開局に伴わずにテレビ朝日制作月-金曜朝のワイドショー自体を打ち切って本来の系列(クロスネット局に関してはメイン系列)の番組の同時ネットに切り替えたケースは前述のテレビ岩手に続いて2例目となった。 1992年10月には秋田朝日放送の開局に伴い、NNS非マストバイ局である秋田放送が放送時間を時差ネットから日本テレビとの同時ネットへ変更。またこの時期になると、日本テレビ系新局(テレビ金沢・長崎国際テレビ・鹿児島読売テレビ)開局や、『モーニングショー』→『スーパーモーニング』(テレビ朝日)のテレビ朝日系新局開局に伴う放映権移行で本番組を同時ネットで開始する系列局(青森放送・山形放送・テレビ信州・山口放送)が増加していく。 1994年1月には長年に渡り放送してきた『朝の連続ドラマ』終了と同時に『朝の連続ドラマ』を先行放送していた西日本のNNSマストバイ8局が日本テレビとの同時ネットに再度移行され、日本海テレビと長崎国際テレビの2局は初めて日本テレビとの同時ネットとなった。同年4月にはそれまで金曜日のみ9:55までの放送となっていた青森放送が全曜日フルネットでの放送となり、鹿児島読売テレビ開局による鹿児島県におけるネット再開と合わせてNNSマストバイ21局と秋田放送における全曜日における放送時間が完全に統一された。1995年3月には最後まで時差放送を行っていた福井放送が本番組の時差ネットを終了したのに伴い、NNS非マストバイ局における時差放送も廃止された。 1995年4月3日から、長年に渡り完全ローカルセールス枠だったものを、前半の30分のみネットワークセールス枠に移行(主にアデランス・エステー化学(現:エステー)、最末期にはトキノ(現:ソノコ)など、30秒提供も多数登場)した(この流れは2006年4月から当該枠で放送している『スッキリ!!』まで生かされており、9:00台前半にネットセールス枠を設けている)。同時に愛媛朝日テレビ開局に伴う形でNNSマストバイ局となった南海放送も同時ネットで放送を再開したと同時に、前述の時差放送廃止に伴い、2011年3月31日までの本枠(『レッツ!』、『ザ!情報ツウ』、2011年3月までの『スッキリ!!』も同様)はNNSマストバイ22局と秋田放送のNNS23局での放送となった。 1995年10月6日からは、金曜日の10:30の30分再放送枠が廃枠されたのに伴い、金曜のみ30分拡大して10:55までの放送となったが、1996年秋の改編で10:30に『峰竜太のホンの昼メシ前』(月 - 木は10:30 - 11:25、金のみ10:30 - 11:00)を設置するため、1996年10月以降の金曜放送は元の10:25までに戻された。 年末については、曜日配列によっては大晦日まで放送(且つ11:25までの拡大版)していた。 1998年4月6日、岸部は長年の事業や趣味への過剰な投資の付けが回り自己破産を申し立て、13年半司会を続けた本番組を突然降板した。岸部降板の翌日7日からは3代目司会者として松永二三男が就任したが、新番組『レッツ!』を立ち上げるために2001年春に22年の歴史に幕を閉じた。なお、岸部は最終回に出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルックルックこんにちは」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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